日本維新の会が次期衆院選において千葉1区の公認候補者として元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏を擁立する方針を固めたと報じられている。Twitterをみたら、トレンドに「長谷川豊」が入っており、何のことかと思いきや、立候補か。
日本維新の会 次期衆議院選挙で長谷川豊氏を擁立する方針
http://news.livedoor.com/article/detail/12633749/
「正気の沙汰ではない」というコメントが散見された。
気持ちは分かるのだが、私の考えは少し違う。
この手の人は、最後は政治家を「目指すしかない」状態になるものだ。さらにそれを持ち上げようとする政党も現れてもおかしくはないわけだ。あの「人工透析患者殺せ」的な言説にしろ、支持してしまう政党と有権者はいるわけだ。テレビで局アナで、最近までレギュラーを何本も持っていた人は便利なのだ。
むしろ問われるのは、有権者の正気であり、民主主義だろう。ポピュリズムの時代だ。民主主義の副産物、コストとしてのポピュリズムが世界を席巻している2010年代。「この人が立候補しちゃうのね」「当選しちゃうのね」ということが世界中で起こっている。
今度の衆議院選においても、唖然とするような立候補者が登場することだろう。
あれだけ炎上してしまった彼だが、立候補する権利はある。日本維新の会が誰を擁立しようと勝手だ。
私は民衆の意志を信じて、「正気の沙汰ではない」という言葉を保存しておくことにする。彼が当選することがあったら、こう言うことにしよう。
「正気の沙汰ではない」と。