本日、4月24日(日)の深夜1時より、TBSラジオ「文化系トークラジオLife」に出演する。実に1年ぶりの出演だ。珍しく緊張している。大学教員になってから、土日も仕事が入ることが多く、1日仕事をしたあとに出演して変なことを言ったらリスナーや出演者、スタッフに申し訳なく。ちょうどいいテーマもなく。気づけば1年になっていた。
テーマは「いま"大学のコストパフォーマンス"を考える」だ。
これは出ないとなと思った次第だ。自分自身で言いたいこともあるからだし、人の意見を聞いて自分の頭の中を整理したいという想いもあり。
ちょうど10年前、私はアメーバニュースで記事を書くようになった。何かこう、神がかっている瞬間というものはあるもので。そんなことを考えていたら、中川淳一郎からメールが届いていた。当時の原稿が見つかった、と。懐かしいな。
当時の思い出は尽きないが、何度か学歴ネタで炎上したり。アメーバニュース以外でもやはり学歴ネタは着火剤となっていた。思えば、大学に対して厳しい意見を書いていた時代もあった。
両親とも大学教員という家庭に生まれたということもあるが、受験生として、学生として、企業の人事担当者として、コンサルタントとして、物書きとして、思えば、生まれてから今まで、様々な立場から大学を見てきた。のちに大学の非常勤講師をするようになり、さらに昨年4月からは専任教員になり。
大学というものに対して人は様々な感情と、具体的な意見を抱くのだと思う。
今日はその辺りの交通整理をする会になると良いと思う。
大学に対して、「これでいいのか」という意見を言ってきたし、今も学内の会議ではそんな話をしたりするのだけど、番組が始まる前に、ざっくばらんに、思うことを整理しておこう。一部は、もともとの私の意見から離れつつ。
番組のテーマが
「いま"大学のコストパフォーマンス"を考える」
であるわけだが、大学のコストパフォーマンスを考えるという行為自体は、否定してはいけないと思う。ただ、このコストパフォーマンスをどう計算するか、いつの時点で計算するか、何をもって計算するかということにより、異なるわけで。さらに、大学に期待することは、人により、立場により異なるわけで。各大学がビジョンのようなものを掲げていたとして、ステークホルダーの期待は異なるわけだ。
よくある「学費が高すぎる」「学生生活が大変だ」という意見や、一部はデータについては、問題だと思うのだが、この手の話も交通整理が必要で。
「学費が高い」という言葉は時に、根拠もなく一人歩きする。何に対してどう高いのかが曖昧なことがある。もちろん、昔に比べてという比較も成り立つが、世の中の変化も含めて議論をしなくてはならない。「高い」という言葉は、大学同士の比較においてもありうるが、それも中身を精査しなくてはならない。学費だけで比較してはだめで、生活費も考慮しなくてはだし。
何より、「コストパフォーマンス」というものを語るときに、「就職実績」だとか「得られる資格」で議論されることがあるわけだが、このこと自体が、大学の矛盾を物語っている。
また、「コストパフォーマンス」を卒業後の移行(トランジション)の「結果」に求めるのか、学生生活という「プロセス」に求めるのかによっても異なる。
最近、よく聞く批判である「多額の奨学金を借りて、アルバイトまみれの生活をおくった上で、ブラック企業に入社する」というような言説についても、これは立ち止まって考えなくてはならず。
「コストパフォーマンス」の議論を進めると、「大学に行く意味があるのか」という話になるのだが、これは「それでも、毎年約60万人、18歳人口の50%弱(以前よりやや減ったし、そこも論点なのだが)が大学に進学するのはなぜか?」ということを根本的に問わなくてはならない。もし、行く意味がないなら、人は合理的な選択をするはずだからだ。
この「それでも大学に行かざるを得ない」構造をとことん考えなくてはならない。人は大学に、学生に、教職員に何を期待するのか、も。
また「コストパフォーマンス」と言う際には、実は教職員の手間暇が相当かかっていて、実は「中身」を検討すると、高いとは言い切れないのではないかという議論も成立しなくはない。
思うに、今日のLifeでする議論というのは、前提と計算方法、その合理性をどう見るかがポイントだし、どういう世界を作りたいのかにもよる。卒業後の移行の結果をみるのか、プロセスを見るのか、など。いったい、学生とその保護者、国は何のためにお金を払っているのかという議論をしないといけない。
それこそ、毎年、就活シーズンに流行る就活や新卒一括採用廃止論があるわけだが、ということは、大学卒業後しばらく経ったあとで就職する世界観をヨシとするわけで、その時、大学の価値をどうはかるかという話にもなり。
もろもろ幻想を抱いているのか、作っているのではないかと。
何を言っているのか分からない文章になっているかと思うが、別にあなたに読んでもらうためではなく、自分の考えの整理をしているだけであり、思考のプロセスを少しだけ共有したいというだけであり。「何だこりゃ」と思った人は、早くこのエントリーを閉じて、寝て、明日の日経でも読んでくれ。
というわけで、クルマを飛ばして赤坂に向かうよ。気合い入れるために銭湯まで行っちゃったよ。
楽しくいきますかね。