2015年があと数時間で終わろうとしている。長かったような、短かったような。
実に中途半端というか、不完全燃焼感のある1年だった。
いや、変化、進化はいくつもある。千葉商科大学国際教養学部に就職し大学教員になった。日々、学生と向き合い、学部作りに没頭した。地方の中堅・中小企業に対する採用支援の仕事が増え、特に石川県からは「いしかわ採強道場」の講師というお仕事を頂き、秋以降は隔週くらいのペースで金沢に出かけ、地元の採用担当者にノウハウをお伝えしつつ語りあった。メディアで発言する機会も増え、特に就活時期見直し問題では何度も意見を求められた。単著を4冊出した。うち1冊は代表作の文庫化だ。ネットニュースの執筆でもいくつかのヒット記事を生み出すことができた。『「意識高い系」という病』を元ネタにしたドラマも放送され、話題となった。
プライベートでも、日々家庭で美味しいものをつくり、毎朝のように散歩する日々を楽しんだ。ここ数年で最もライブやプロレスに通ったのかもしれない。相変わらず肉体改造を続け、身体も大きくなった。日差しが辛くなってきたこと、クルマを運転する機会が増えたことから、日常的にサングラスをかけるようになったのも大きな変化か。
しかし、このなんというか、年末を迎えて悶々とする感じはなんだろう。
自分の悶々とした感じは、自らの努力不足でもある。とはいえ、世の中も悶々としていたように思う。
2015年は戦後70年であり、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件から20年(新世紀エヴァンゲリオン、globeデビューからも20年だ・・・スーパーマリオだと30年)だ。昭和にすると90年である。ただ、「節目の年」「変化の大きい年」としてまとめようとするのだけど、私はこの言葉に疑問を抱いている。「節目の年」にしては総括が不十分だ。「変化の大きい年」と言いつつもそれは数年前から継続的に起こっていた変化の顕在化にすぎない。変化が激しいと言いつつも悶々とした、やるせない空気がずっと漂っていたようにも思う。
この時代とどう向き合うか?
より真摯に時代と、歴史と向き合うために、しばらく仕事のペースを落とそうと、秋の段階で決意したのは自分にとってよいことだったと思う。というわけで、来年は研究室、書斎にこもる。連載も大幅に減らし、イベントも今までよりは本数を減らし、数年後、より社会に対して物申せる人間になるために、自分を鍛えなおす期間にしよう。
今年も、家族と大好きな蕎麦屋で年越し蕎麦、天ぷらを食べることができた。毎年楽しみにしている確かな贅沢。
最近はお酒も減らし気味だけど、今日くらいは紅白とRIZINを見つつ、楽しく酔うことにしよう。
今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
良いお年を!