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今日で仕事納め。講演のために、福井に来ている。もろに帰省シーズンと重なり、混んでいた。福井の駅のカフェでこのエントリーを書いている。

朽木誠一郎さんのこのエントリーを読んでいろいろ考えた。

ウェブライターは何者かになれるのか(朽木誠一郎) - Y!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/kuchikiseiichiro/20151226-00052495/

ネットニュースをどうするかというのは、ここ数年、ずっと考えていたことだった。一時はネットニュースを書いている自分が嫌になった瞬間もあった。それでもなんとか続けている。一応、生き残っている。ネットニュースのこれからを考えるために、今年はゲンロンカフェで2回イベントを開いた。毎回、チケットは飛ぶように売れたし、意義のある議論ができたと思う。ゲンロンカフェからは出入り禁止になったけどな。ネットニュースのこれからということについては、今後も議論したいので、2016年も会場を変えて、イベントを開くつもりだ。

朽木誠一郎さんのご意見に重ねるかたちで、考えが合う部分も異なる部分も含めて徒然なるままに書き綴ることにする。

ネットニュースはもっと化けると思っている。もっともっと影響力のあるものになると思う。ただ、実はそれはみんながスマホを使うようになったなど、ユーザー数が増えたという変化による部分も大きく、実はメディア運営側、ライター側、編集者側の努力はまだまだ足りないのではないか(建設的なことを言うつもりだったが、いきなり批判から入ってしまった)。

思うに、届けるべき事実とは何なのか、どうやったらその事実が読者に届くのか、などなど、メディアやコミュニケーションの設計というのはまだまだできると思う。

ライターの養成も結構だが、どのレベルで養成するのかという話になる。今は要するに記事が足りずに誰でも彼でも書かせているわけで。そのクオリティの管理もできていない。一方、ライターになんでもかんでもガンバレというのもちょっと違う。ブログじゃないんだから。

思うに、「メディア」であるはずなのに、「個人ブログ」化しているサイトっておおすぎないか?ここにサイト運営側、編集者側の努力が必要なのだと思う。


極論、別にライターは上手くなくていいという世界観もある。編集がとことん介在して、その書き手が持っている、伝えるべき事実をどうやったら伝わるかとことん考え、サポートする、と。なんというか、出版業界でいうブックライター、構成作家的なポジションも必要な時代かと思う。

どうやったら、届くのか。そのためにはライターの努力や養成もそうだが、メディアの設計、コミュニケーションの設計、編集の介在が必要だ。ライターの腕試し大会と化しているネットニュース界をなんとかしてほしい。

紙からウェブにライターや編集者が移っているというけれど、特に編集者の移動により、ライターや他の編集者を育てるスパイラルが生まれればいいと思っている。

極論、紙だウェブだと関係なく、いかに届くコミュニケーションを設計できるか。どんな事実に光を充てられるか。これが今、大事なことだ。これを考えず、気合と根性でやっても意味がないと思う。

そして、なんとなく抱いているスキルやブランドにおける紙高ウェブ低意識をなんとかしたい。まあ、紙は修羅場なので、ますます洗練されていくとも言えるのだけど。

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私はネットニュースで儲けようとは思わない。古参ライターとして業界をよくしたいと思っている。

昨日は、お互い非番なのにも関わらず、東洋経済オンラインの担当編集者と肝いり記事で打合せをした。勝つために、トンカツを食べつつ。こういうかかわり合いって大事だと思う。

明日、約1年かけた1万字のルポルタージュを公開するので、ぜひ期待して欲しい。この連載な。これ、いつも赤字だからな。魂を感じて欲しい。

まだまだ書きたいが、講演会スタッフがお迎えにやってきた。仕事納め。頑張る。

・・・本の方も手にとってな。お願いだ。