
「常見さんは、何を目指しているのですか?」
昨日、我が家、陽平城で遷都10周年記念超絶意識の高いホームパーティーを開催したのだが・・・。
ご参加頂いた編集者さんからこんな質問を頂いた。
アイタタタ。しかも、この質問、最近、親しい友人によく聞かれるのだ。
何を目指しているのか、と。
この質問は本質をついていると思う。というのも、実際、41歳である今は大いなる踊り場というか、端境期というか、そんな感じだからだ。目標を見失っているとも言える。
31歳の今頃、会社をやめたときには、一応、人生の夢みたいなことを語った。会社員でありつつ著者になりたいなとか、大学の非常勤講師をやりたいなとか、そんなことを思っていたのだが・・・。著者になるという夢はその2年後に、大学の非常勤講師になるという夢は5年後に達成した。その後、会社は2回辞め、大学院に入りなおし、フリーランスにもなり、この4月には大学の専任教員になった。10年前は本当に普通のサラリーマンだったので、大きく変化しているとも言える。
ただ、自分が何者なのかと言われると、自分でもよく分からなくなることがあるし、何を目指しているのかと問われると、これがしっかり答えられなかったりする。なんだろう、就活中の学生みたいじゃないか。
以前、目指していたことが一旦、達成されたこと、次に向かうこともなんとなくわかるのだけど、そこに確信がもてないこと、人生が折り返し地点にさしかかろうとしていること、疲れているわけではないが、何かこう燃え尽き感があることなどが理由だろうか。日々の仕事が楽しすぎて、そんなことを考える暇もないとも言えるのだけど。
一応、目標のようなものもあるし、夢もある。ただ、何かこうそれがしっくりこないというか、言わされているような気がする。今年はその模索をする一年ということなのかなと割り切ることにしている。こういう、当たりをつけるというか、何かを探すことも大事なのだ。
というわけで、しばらく、頼まれるがままに仕事をして、流されることにする。流れよう、流されよう。
人生は、宝探し。