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馳浩が入閣した。文部科学大臣だ。元プロレスラーの入閣だ。プロレスファンとしては嬉しい。

ただ、ちょっと立ち止まって考えてみた。

馳がプロレスラーだったのは1985年から2006年にかけてである。ただ、日本でデビューしたのは1987年だし、シリーズに常時参戦していたのは1995年、つまり当選した年までである。それ以降はスポット参戦が中心だった。明らかに試合数は少なかった。プロレス歴は21年ということになるが、「バリバリのレスラーだった時代」というのは10年弱でしかない。

今年で政治家になって20年である。政治家としてのキャリアの方が長い。2003年には文部科学大臣政務官に、2005年には同副大臣になっている。自民党が下野していたときも、ずっと馳は当選していた。気づけばすっかり、自民党の人であり、政治家である。

「元プロレスラー」という肩書きというのは、極めて重いということになる。すごいぞ、プロレス。いや、東京オリンピックを5年後に控える中で言うならば、元オリンピック選手と言った方が聞こえがいいし、文部科学大臣としては、元教員というキャリアも効いてくると思うのだが。

もっとも、とっくに政治家としてのキャリアが長いのだから、そろそろ「元プロレスラー」はいいのではないかと思う。ただ、ずっと言われ続けるのが「元◯◯」という肩書きだ。あぁ、面倒臭い。

そういう私も、元リクルートでくくられる。リクナビなどに関して、記事だけでなく、書籍でも批判しているし、距離を置いているのだが、元リクとくくられ、ネットで攻撃されたりする。退職(卒業という言い方は気持ち悪いからやめた方がいいと思う、実際卒検に受かったのか・・・)して10年なのに。労働者としても、在籍期間よりも、外に出た期間の方が長くなってしまったのだが。別に元リクで得したことはあまりないし、労働者としての実績も出てから築いてきたものなのだが。ただ、逆にまだ元◯◯以上の実績を築いていないということなのだろう。人生、迷子だからな。いや、流れ流れて生きているだけだからな。

というわけで、元◯◯というのは、時に呪縛になることもある。

まあ、でも、自分が歩んできた道であることは間違いないし、誇れるかどうか、そこで学んだかどうかという話なのだろうけど。

馳浩に話を戻そう。

元プロレスラーが文部科学大臣になって嬉しいと思うプロレスファンの自分がいる一方で、「いい仕事をしてくれ」という冷徹な有権者の自分がいる。

オリンピックに教育改革、問題は山積だ。いい仕事をしてくれ。大技だけがプロレスではない。技を受けること、地味な寝技でもうならせることもプロレスである。

と、プロレスに例えてしまうのは、まだ元プロレスラーを期待しているということなのかな。