三田祭で講演した。同じ日に、先日対談した慶應義塾大学法学部政治学科2年の青木大和さんの「小学校4年生なりすまし炎上騒動」が起きたのは、奇妙な偶然だ。慶應義塾大学、そして意識高い系学生のイメージと実態について考えた。
■一橋大学を心から愛する常見陽平(博士課程は不合格だったけどな)、やたらと如水会と三田会で比較される慶應義塾大学の三田祭に行ってきた
生まれて初めて慶應義塾大学の三田祭に行った。学生団体Wisdom主催の講演会のためだ。就活時期繰り下げ、塾生の就活について講演した。
午前中の早い時間だし、なんせ楽しい学園祭の最中だからこのタイミングにテーマで集客は厳しいかもと思っていたが、団体の方が集客を頑張ってくれて、期待以上の動員だった。来て頂いた皆さん、スタッフに感謝。
学生団体Wisdomの方、三田祭実行委員会の方が実に気持ち良い方々で、意識高い系学生にありがちなストレスはまったくなく、実に楽しく講演をすることができた。この日は晴れていて、暖かく。三田キャンパスを歩いているだけで、見ているだけで実に気持ちよかった。超満員札止めという感じではなかったけど、参加者も一生懸命で話していて気持ちよかった。
いいじゃないか、慶應。
■三田にもSFCにも感じる、慶應の「宇宙人」イメージって何だろう?
・・・団体の方から頂いた花束が、人生でもらう花束で最も大きく、びっくりしたけどな。加山雄三の武道館講演で、サプライズで登場した桑田佳祐が渡した花束並みに大きかった。リビングに飾ってみたが、どうだろう、これ。これだけを切り取ると、慶應に抱く、派手なイメージと重なるかもしれないな(いや、団体の皆さんからのご厚意だ、ありがとう、花は好きなので)。
講演の中でも少し触れたのだが、慶應義塾大学というのは、三田も、SFCも都市伝説に事欠かない大学だと思う。
三田系に関して言うならば・・・。
「親に外車を買ってもらった」
とか
「大学進学時にマンションをもらった」
とか。
あるいは
「ホテルのスイートで合コンをやりまくった」
「企業のスポンサーをつけて、海の家を運営した(私のリクルートの同期だ)」
など。
その手の、「金持ちボンボン話」や「超絶リア充話」を聞く。
SFCに関して言うと、学生起業家話、社会起業家話や、ウェブサービス立ち上げました話などである。
どれも、それぞれのごく一部に過ぎないだろう。
多くの方はよく学び、それなりに遊び、人とのつながりは大事にするなあ、世渡り上手だなあという慶應っぽさを感じさせつつ、でも、不安もあるという。要するに有名大学に通っているとはいえ、普通の学生なのだが。
どの大学でもそうだが「ごく一部の人たち」がイメージを作っていく。ただ、この「ごく一部の人たち」が完全に都市伝説、フィクションかというと、そうでもなくて。実際、こういう人たちとお会いしたことはある。というわけで、三田=ボンボン、SFC=世捨て人、超人イメージが作られ、慶應の人たちに「宇宙人」イメージを抱いてしまうのだ。
※もちろん、このイメージは時代とともに変遷が。春に1号だけ出したフリーペーパー『アスユニ』に、後藤和智氏に「慶應SFC的なるもの」という秀逸な論考を寄稿してもらったのだが、SFCのイメージも変遷していることがわかり、面白い(期間限定でダウンロード可にした 11月いっぱいは掲示予定)。
何が言いたいかというと、「宇宙人」的な慶應のイメージはごく一部の人たちが作っているということ。そして、時代とともに変化しているということだ。
■そして、青木大和小学性なりすまし問題だ
さて、ここまでは壮大な前書きで「青木大和小学4年生なりすまし問題」だ。
概要はリンク先をみて欲しいのだが、why-kaisan.comというサイトやTwitterアカウントが立ち上がり、小学校4年生の中村なる人が立ち上げたことになっていたが、実はそれは青木大和氏だったということである。
小学校4年生だと詐称していたことが問題となっていた。
私が彼と対談したので、見解を求められたり、一部、「あいつを持ち上げやがって」「取り上げたお前も悪い論」などもあり。
ただ、対談ではかなり彼にアドバイスというか説教もしたので、ツイートを追う限りは、私には好意的で、別に責任を追求されているわけでもないのだが。
見解を書いておこう。釈明じゃないからな。雑感に近いけどな。
1.正々堂々と「青木大和、意識高く、政治を考えるサイトつくりましたぁ!」で良かったのでは?
この「どうして解散するの」サービスについて。
普通に
「政治について超絶意識の高い慶大生、青木大和です。意識高く、みんなが政治に関心持ってもらうためにサービス立ち上げちゃいました。みんな、どう思います?」
と問いかければ良かったのではないか。
真っ赤に燃える朝日新聞をはじめ、メディア露出が多いのだから、自分の名前で勝負した方が、影響力もあるし、取材も増えたのではないだろうか。
2.最初から「フィクション」「ウェブサービスである」ことをうたえば良かったのでは
要するにみんなが叩いている点は「小学校4年生」の「中村くん」を「詐称」していたことだ。
ただ、これ、「架空の小学校4年生の中村くん」という「キャラ」だと最初から言っておけば、ここまで燃えなかったと思うのだ。
それこそ、ゆるキャラにしてしまうとかだな(これは以前、描いていたネコが主人公のプロレタリア漫画だ)
1とも絡むが、伝え方が不器用だったのではないか。
3.なぜ、みんなこういう時だけ政治に熱くなるのか?
ただ「詐称」と皆が責めたのだけど、「見ればわかるだろ」というものでもあったと思う。
それこそ、ネット上には匿名のアカウントはもちろん、botなどもあるわけで。
この件について、燃えたのは、それが「政治」ネタだったからだろう。政治に関することで、しかも、今回の解散を批判する文脈で、自民党批判ともとられかねない文脈で(少なくともそう見えてしまう)おこなったので、みんな熱くなってしまったのだろう。
そう、こういう時だけ政治に熱くなったり、キレイゴトを持ち出すのは、ネット上でのよくあることなわけで。
わかりやすい炎上の仕方だった。
4.私も「若者応援おじさん」だったかもしれない
青木氏との対談の3回目を読んで頂きたい。ネットでもこの記事が拡散している。
「家入一真」とは、いったい何だったのか 若者よ、君の味方を装う奴に気をつけろ
http://toyokeizai.net/articles/-/53567
ほとんど彼はしゃべらず、私の独演会、一部は説教になってしまっていた。
いや、彼との対談の前に、実は必ず聞きたいと思っていた質問、必ず伝えたいと思っていたことがあった。
一連の対談の中でほぼ聞いているし、言っているのだが・・・
・若者が政治に関心が高くなったところで、一票の格差問題、同世代人口の違いなどを考えると無理ゲーではないか。それをどう捉えるのか。
・「政治に意識が高い若者」として、例えば民青同盟の若者、創価学会信者の若者などは立派な「政治に意識が高い若者」だと思うのだが、君は彼らと握手するのか、しないのか。
・政治に意識が高くなると、組織内に分裂、内ゲバが起こるのでは?
・家入一真、インターネッ党をどう総括するか。
・「若者応援おじさん」に気をつけろ。彼らは若者を応援するふりをして、ハシゴをはずす。応援している風なのがセルフブランディングに使われている。
・「プロ若者」「御用若者」になるな。
というものである。
この対談は2014年10月31日の14時から東洋経済新報社で行われた。このなりすまし騒動が起こる約3週間前だ。最初の記事は11月12日に公開された。
この騒動の直前だったのと、私がやや説教気味だったので、Twitterでは「常見、神がかってる」「常見は運がいい」「常見、ストップ高」などのコメントがあり、ぶっちゃけ、PVが伸びてうれしいのだが・・・・。
とはいえ、彼を取り上げた私の責任を問う声もあった。
ここで「取り上げたか否か」だけで批判するのは違うのではないか。むしろ、取り上げ方が問題だ。対談というのは、したからと言って相手を肯定するわけでもなく、吊るし上げるわけでもなく、そこで情報が共有され、意見や価値観の共通点、相違点を見出すものである。
彼の活動に共感する部分と、危ういなと思う部分はその場で意見を伝えている。そこで若干の危うさを感じたのは事実だ。
例えば、一票の格差問題について聞いた時、彼はこう答えている。
一つ気がついたのですが、僕は今年20歳になったのですが、まだ投票に行ったことがないんです(笑)。行けるとすると来年(2015年)4月の統一地方選です。票を投じたことがないので、まだその無力感がわからない。
やや脱力したのは言うまでもない。
ただ、私はノストラダムスではないので、先のことはわからない。もちろん、それなりの期間、面接官をやっていたこともあり、若干の危うさとか、若さゆえの未熟さを感じたのは事実だが。
とはいえ、反省することがあるとしたならば、私も、自分が批判しているところの「若者応援おじさん」だったのかもしれない。彼を取り上げることで、連載の注目度をあげようという、嫌らしい下心があったのかもしれない。
対談記事にもあるように、元々、真っ赤に燃える朝日新聞の、香港デモレポートの記事を読んで、興味を持ったのだった。
もともと『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)という本を出すほど、意識高い系には興味があり。ただ、意識の高い学生は就活や起業、社会貢献には興味を持つのだが、政治にはなかなか興味を持たないわけで。でも、政治というのは前述したように色々あるわけで。どう折り合いをつけるのか、興味があったのだ。
というわけで、取り上げてごめんなさいというつもりはまったくないが、私も「若者応援おじさん」だったのかもしれないな。うむ。
5.「若き天才」と「早熟」は違うことを意識し、論じるべき
これは尊敬する編集者の先輩によるコメントの受け売りであることを、最初にお断りしておく(Yさん、素敵な言葉に感謝)。
「若き天才」と「早熟」は違うのだ。
この言葉は私の中のもやもやを綺麗に整理してくれた。
拙著『リクルートという幻想』でも取り上げたと思うが、リクルート創業者江副浩正氏の言葉を思い出した。
「マネジメントの才能は、幸いにも音楽や絵画とは違って、生まれながらのものではない。 経営の才は、後天的に習得するものである。それも99%意欲と努力の産物である。 その証拠に、10代の優れた音楽家はいても、20代の優れた経営者はいない。 」
こう「若き天才」と「早熟」というコンセプトに通じるものがあるのではないだろうか。
メディアや、それこそ「若者応援おじさん」は「御用若者」「プロ若者」を取り上げる時に、単なる「早熟」を取り上げているだけということがよくある。ただ、たまに「若き天才」もいたりする、本当に。
このあたりを整理するべきだろう。
青木大和氏は、「早熟」だったな。間違いなく。
6.みんな、SFCに偏見を抱いている
しょうもない話だが、青木大和氏をめぐる批判で「だから、SFCは・・・」という声が散見された。
彼、法学部政治学科2年生だからな。
たぶん、彼の親友Tehu氏と混同しているのだろう。
ただ、この誤解もまた、SFCとは、慶應とは何かというか。抱いているイメージというか偏見を可視化していると思う。うん。
7.言い訳禁止、失敗からは、必ず学ぶこと
読者のみんな、ここまで読んでくれて、ありがとう。
最後に、青木大和氏に説教しないといけないことがある。
この謝罪文は、何だ。
「とはいえ累計約4000万人が政治に関心を持ったでしょ」と言わんばかりのものになっている。
謝る時はとことん、潔くないといけない。
どこかで、自分は悪くないと思っていないか。
選ばれた者、意識の高い者は何をしてもいいと思っていないか。
いますぐ書店に走って、ドストエフスキーを読みなさい。
一方、正しいと思ったのなら、謝る必要はない。いまから、青木大和のサイトとしてリニューアルし、やり直す手もある。
人は、失敗する。
失敗から学ばないと行けない。家入一真やイケダハヤトのような、失敗から何も学ばない、人の心をもてあそぶ「プロ若者」「御用若者」に君はなるな。
青春というのは、
何かを成し遂げる時代ではなくて、
愚かで馬鹿な時代なんだ。
私が尊敬する北方謙三が「ソープへ行け」でお馴染みの人生相談コーナー「試みの地平線」で最後に残した言葉だ。
北方先生が教えてくれたように、突っ走ってはどこかにぶつかり、しばしうつむいて泣いては血が止まったらまた走り出す。そんなばかげた時代が青春だ。
私も20代の頃はよく汗と涙と血を流したものだ。今も流している。殴られて叩かれて痛みを知り、殴って叩いてやはり痛みを知る。
ただ、いつまでも若者ぶる奴も痛い。いつまでも若くはない。人生は短い。だから、先人の知恵と、自らの失敗から学ばないといけない。
また会おう。