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昨日の感動した光景。

取材で早稲田大学のあたりに行ったら、あゆみブックスで『普通に働け』が平積みになっていた。発売から3ヶ月以上経ったのに。

じわじわ、嬉しかった。

物書きになるのが夢だった。幼稚園の短冊にもそう書いたような気がする。

そんな話を周りにずっとしてきて。

鼻で笑われたことも何度かあった。

その後、2007年に私は、商業出版デビューすることができた。

幼い頃の夢は実現した。

ただ、物書きになったところで、今度は自分の力のなさ、浅さに愕然とした。

書店に並んだ私の本は、輝いて見えたが、周りには、同世代の著者たちの本がドドンと並んでいた。

おかげ様で、その後も執筆依頼を頂くことができ、なんとか残ることができている。

ただ、夢は実現することができたのだけど、次の夢に向けて走っていたり。

そして、物書きになることはできるのだけど、自分が納得の行く物書き像には全然達していない。

読者にも依頼主にも、期待に応えようと思いつつ、そんな風に努力はしたのだけど、実際は裏切り続けてきたようにも思う。何度も、在庫の山を作ってきた。

「常見さんみたいになりたい」と言われるとそれなりに嬉しいが、「こんな自分に、なぜなりたいのか?」と思ったりもする。

夢って何だろうね。

修士号というのが直近の夢であり、目標だった。今日はその口頭試問の資料の提出日だ。ほぼ徹夜だし、タイムリミットが迫っているのだけど、夢に向けた自分の至らない部分を感じたりもするし、夢が近づいているはずなのに、なぜもっと頑張らなかったのだろうと反省したりする。いや、頑張ってはいる。この2年間、死に物狂いに働いたことは事実だし、単位はちゃんととったのだけど、もっと勉強するべきだったと猛反省したり。

夢に向かって努力しろというのだけど、人間はなぜ、もっと頑張れないのかね。

そんな中、昨日は、「夢がないという若者に、どうやったら夢をもってもらえるだろう」という相談と、「明らかに実現可能性の低い夢を抱いている若者に、どう気づいてもらえばいいだろう」という相談をほぼ同時に受けた。

悩ましいね。

「気づく」という言葉は、いかにも自己啓発書っぽくて、苦手なのだけど、うーん、夢を抱くヒントはすぐ近くにあることと、夢を実現するのは難しいことに両方気づくことかな。

私は、夢を抱くキッカケがいい感じに周りに転がっていたことと、夢について甘くないことを気づかせてくれつつ応援してくれる人、例えば母親や妻や友人がいたから、なんとかやってこれたのかな。

昨日の一連の相談を受けたあと、自分の本が並んでいる光景をみて、幼い頃の夢は実現できていることと、次の夢に向かって歩いていることを確認できたかな。走ってはいない。歩いている。人生は長いからね。

夢といえば、昨日、YouTubeで見かけた、スティービー・ワンダーやダフト・パンクの夢の共演は素敵だった。でも、秒速で削除されていた。これもまた、夢?

まあ、夢があるとか、ないとか議論しているうちに、誰でも、それなりの夢を追っているし、それに至らないことにも気づいている?

なんて、ガタガタ言っていても始まらない。今日も目の前のことをやろう。

ICカードで品川から乗れるという、20年前では考えられなかった夢のような快適性の恩恵を受けつつ、そんなことを考えてみたりする。さあ、仕事。