冬学期の大学院ゼミは、個人の研究発表の比率が高かったのだけど、今週は久々に輪読モードだった。
レポーターは私。英語の論文を訳し、要約し、発表し、議論する。懐かしいな、これ。
英文和訳をやっているときに、ふとこの本のことを思い出した。『英文標準問題精講 』だ。受験参考書の名著と呼ばれている本である。私の頃は、シルバーの表紙だったような。「名著」と書いたが、受験参考書はもちろん、難易度とか、編集方針の違いなどがあるために、賛否両論はある。ただ、受験勉強が嫌いだった私にとって、面白いと思える本だったし、取り組んでいて手応えのある本だった。
手元に本がないので、ややうろ覚えではあるが、哲学、歴史などに関する例文が多かったような。それこそ、E・H・カーを訳したのを覚えている。
もちろん、これまた面倒くさいもので、「そういう、実社会で役立たない文章を載せているからダメなんだ」という批判もあるだろう。ただ、大人の世界の文章を訳していて、私は興奮したのだった。受験勉強が大嫌いだったのに。珍しく。
受験参考書っていうのは、テクニックを教えるという批判がありつつも、大人の世界に若者を導くものでもある。私は『英文標準問題精講 』のおかげで、大人の世界を覗くことができたのだった。
一応、英語の論文も読んでいるわけなのだけど、まだまだ苦手。博士課程の入試では、英文読解があるので、修論の提出が終わったら、1ヶ月半、まじめに英文特訓をするもんね。
そういや、前にも紹介したけど、先日出た、斎藤哲也さんのこの本、超絶良著だったなぁ。夫婦で、「この本が高校時代にあったら、人生変わっていたね」と話していた。
難しいことをわかりやすく解説していて、勉強は面白いと思わせてくれる。これ、大事だね。
難しいことをわかりやすくまとめあげてくれる、斎藤哲也さんは貴重な書き手であり、「編み手」(という言葉をつくって見た)である。
読み物としても楽しめるので、ぜひ。

やや話題は変わる。先日、編集者と一緒に学生を取材していたときのことだ。その学生の就活中のノートを見せてもらった。実にしっかりまとめてあるノートだったのだけど、その中に、私の本のコピーが貼られていた。2年前に出した『就活の神さま』だった。
この本だ。
実に40万字くらい原稿を書き、その中から厳選してまとめたという。
初版の最後の追い込みで、誤字脱字の漏れがあったのが悔しい。物語形式で就活のガイドをし、欄外にも凄まじい文字量があるという、なかなか大胆なトライだったと思う。
一応、増刷がかかったが、ヒットしたわけではなかった。
ただ、前から仕事をしたいと思っていた熱い編集者とマジで取り組んだのは良い思い出だ。
採用担当者をしていた頃、いかにも就活マニュアル本を読んで受けてきた感じの学生が苦手であり、かわいそうだと思った。なんで、自分の言葉で話さないのだろう、と。
気づけば就職活動関連の物書きになり、いつの間にか就活ガイド本や、対策本も一部、書くようになっていた。私は社会問題、雇用・労働問題としての就職活動を描き、研究したいのであり、その手の本を書くのは苦手だったし、よりふさわしい人はいると思う。ただ、期待されるがままに書いた。
一時はそんな自分が嫌だったこともあった。
ただ、途中から、これはこれで大事なものだと思うようにもなった。これもまた、若者を導く本なのだ。『就活の神さま』はそのトライだったかな。
もちろん、「書籍」としては就活ガイド本、対策本はもう書く気はないし、書けないのだけど。
受験も就活も、好きか嫌いかというと未だに嫌いなのだけど、だからこそ、「人を導くもの」これはこれで大事かな。もっとも就活は、受験ほど「型」があるわけではなく、もともとの本人の能力・資質もそうだが、プロフィールがものを言う部分もあるので、受験ほど対策本が有効ではないと思ったりもするのだが(この、いくら頑張っても無駄な構造は、”立場競争”や”集団間競争”という考え方で、いままとめている)。
何にせよ、若者との接点があるものである以上、そこは「導くもの」の誇りと責任があるわけだ。
『英文標準問題精講』と『就活の神さま』のことを思い出した39歳の昼。


