
3月が終わろうとしている。
春は卒業の季節である。
私のサラリーマン生活はいったん終了する。
「お前、サラリーマンだったのかよ!?」という声もあることだろう。そう、私は株式会社クオリティ・オブ・ライフの一社員なのだ。株も持っていない。
大学院進学、そして講師業、執筆業、評論活動にシフトするために、私は会社を、サラリーマンを辞めることにした。
株式会社クオリティ・オブ・ライフでの3年2ヶ月と、15年間にわたるサラリーマン生活が終わろうとしている。
15年というのは結構な期間である。思えば、小中高大に通う期間は16年間くらいではないか。長かったような、短かったような。一言では語れない。
私の親はサラリーマンではなかったし、幼い頃から社会の歯車になることが極端に嫌いだった。幼い頃からジャーナリストや物書きになることに憧れていたし、幼稚園の七夕の短冊にもそう書いた。大学の先生になりたいなと思った時期もあった。中学校の頃から社会学に興味を持ち、また内地に出て、一橋大学で学びたいと思っていた。
この「社会学」「サラリーマンではない生き方」「知的アウトプットをする仕事」への憧れは極めて強かったはずなのに、人生とは実に面白いもので、大学2年の頃に「名物講義らしいから」という実にミーハーな理由で受講した竹内弘高先生の講義で人生が変わってしまった。彼の講義はいちいち、今まで私が受けてきたものとは違っていた。「私は君達を次世代のリーダーに育成する」ということを真顔で言っていたし、実際、そう取り組んでいた。「一橋大学で社会学を学ぶ」という理由で内地に出てきた私なのに、いとも簡単に商学部に転学部した。そこまでして入ったゼミにはいちいち熱気と緊張感があった。周りの仲間は明らかに優秀だった。私は完璧に落ちこぼれだった。間違いなく厳しいゼミだった。
商学部に移ったことは、当然、私の進路選択にも影響を与えた。考えてもいなかった、ビジネスの世界に飛び込むことになる。就職氷河期と、就活の茶番を体験しつつ、「”オトナ社会”に取り込まれるものか」「絶対に3年で辞めて独立だ」と思いつつ、リクルートに入社。
しかし、私は見事に社畜になっていった。この15年間では、学生時代に「絶対に嫌だ」と思っていた残業、休日出勤、接待、希望外の異動・転勤・出向、パワハラを受ける、セクハラや社内恋愛を目撃する、過労やメンヘルで倒れるなどサラリーマンらしいことをひと通り経験した。
もちろん、嫌なことばかりではなくて、仕事を通じて経験値もたまり大きく成長できたし、良い出会いもいっぱいあった。仕事での達成感を何度も味わうことができた。こう見えて、会社で表彰されたことも何度かある。それこそ「やらされた」ことを通じて、自分の武器が増えていったかな。最悪な部署や二度と会いたくない上司も何度か経験したけど、一方で居心地のよい職場、素晴らしい上司や仲間に恵まれたことも何度かあった。
自分自身に力がないということを何度も実感した。いや、こういう風に「自分が悪い」と思うことは、会社によるマインドコントロールだという批判もあるのだけど、実際、実力がないのだからしょうがない。「お前ならできる」と期待された仕事を何度も頂いた。でも、できなかった。何度、期待を裏切ったことだろう。でも、そんな私に何度もチャンスをくれたのも会社だ。サラリーマンだったから、何度もチャンスをもらえた。
通信サービスの営業→営業企画、販売促進→転職情報誌、転職情報サイトの企画→トヨタ自動車との合弁会社立ち上げ マーケティングや広報を担当→宿泊予約サイトの営業企画→玩具メーカーの採用担当→著者デビュー→新規事業担当→人材コンサルタント→非常勤講師を兼任→就職活動応援サイト編集長→研究員を兼任・・・
本当に様々な仕事を経験してきた。「これは、私のやりたいことではない」と不満をぶつけたことは何度もあった一方で、希望通りの異動や転職をした時に限って、「やりたいこと」の現実を知り、自分には向いていないことに気づいてがっくりしたこともあったな。やりたいこと、むいていることなんていうのは、そうそうわからないものだ。ブレてないことがあるとしたならば「楽しむことをサボらない」「健全な怒り、批判精神を持つ」「変える、仕掛けるという気概を持つ」「面白いことを考える」「よく働き、よく遊ぶ」ということかな。
15年間のサラリーマン生活は、実に素敵な寄り道だった。
これからの私のビジョンだが、それは38歳の誕生日である4月4日あたりにこのブログで発表する。基本的にはこの2年間は学業を最優先させつつ、大学の講師の仕事と執筆業に集中するつもりだ。新しいこともいくつか始めるが詳細は後日。
そして、社畜から家畜になる。家庭を最優先する生き方をするつもりだ。主夫として家事をしっかりやることにしよう。子供が生まれたら、私がのびのび教育で育てる予定だ。
何度も言っていることだが、豊かさとは多様性と可能性だ。自らが実験台となりたいと思う。
ちなみに、雇用契約上、会社は辞めるが、仕事は辞めない。今の会社とはフェロー契約を結び、現在、担当している案件や、就活の栞編集長はそのまま続ける予定だ。会社に顔を出すのはおそらく週に1度くらいになりそうなのだが。
さて、サラリーマン最終日だが、出張先で、実に普通に進んでいった。大阪府の事業のメンバーを面談し、アドバイスをする。少しずつ時間が過ぎていくたびに、「そうか、もうこの仕事も終わりか」「サラリーマン生活も終わりか」とぐっとくるものがあった。フロアを出るときに、メンバーが全員起立して、送り出してくれた。一人でエレベーターに乗ったときはじわっときた。
オフィスの近くにあるコンビニでビールを2本買い、1本はバスに乗る前に飲み干した。別に高いシャンパンでなくてよかったんだ。この缶ビールこそが、サラリーマン時代に私を癒し続けてきたものである。発泡酒でなくビールを買うのも、サラリーマンとしての意地だったような、プライドだったような、安定した生活だからできたような。とにかく、仕事が終わって、コンビニでビールを買う瞬間が好きだった。
バスに乗り、サラリーマン生活最後のお土産として、蓬莱の豚まんとシュウマイを自宅用に買い、他にも1セットを妻の実家に、もう1セットを中川の家に送った。これもサラリーマンの出張ならではだなって、いちいち噛み締めた。
飛行機から見える夜景がきれいだった。
新橋で妻と合流して、飲み、一緒に帰宅。思えば、玩具メーカーを辞めた日も会社帰りに合流したっけ。
サラリーマン生活は、帰宅するまでがサラリーマン生活である。二人なので、寝飛ばすことはなかったけど、そういえばこの15年間、何度も寝飛ばしたっけ。4泊5日(・・・いや、始まる前はラジオでオールナイトだったから5泊6日か)の出張から戻ってきた自宅は、やっぱりいいものだった。自分の居場所があるって、いいな。思うに、ずっと居場所難民だった私にとって、会社というのは一時は居場所だったし、今は家庭をこえる居場所はないって思ったりする。
写真は空港に向かうバスから見えた夕焼けだ。川の水面と、飛行機雲がきれいだった。空と川がずっとずっと広がっていた。そういえば、このブログのタイトルは「試みの水平線」である。もちろん、北方謙三先生の「試みの地平線」から影響を受けている。
男というものは常に地平線、水平線を目指すものである。
見果てぬ地平線、水平線を目指すのは、愚かなことだろうか?
その向こうにはまた、地平線と水平線があることだろう。行き着く果てなき旅が続くのだ。
ただ、立ち止まって砂に埋もれ、水で溺れるよりも、私は歩き、泳ぐことの方に意味があると思っているのだ。歩き、泳ぐことによって、自分とは何で、どこに向かうべきかがわかるのである。埋もれる前に、前に進むのだ。
サラリーマン生活の終わりを飾る素晴らしい空に、私は勇気をもらったんだ。
未来は真っ白い手を広げて、私を待ち続けている。
これからも人生は負けたり勝ったりの繰り返しだ。でも、負けの味を知っているから、前に進めるのだと思う。
これからも水平線を目指した、私の試みは続くのだ。
未来は素晴らしいに決まっているのだ。
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