
城繁幸氏のTwitterが熱い。
昨日も新卒採用ネタで、彼のコメントとそれに対するみんなの返答が、やや千日戦争状態(ワンサウザンドウォーズと読む、どういうことかは聖闘士星矢を読んで勉強すること)になっていた。
これについても言いたいこと、ツッコミたいことはあるが、それはいつも書いていることなので、今日は別の話を。
たまたまこんなツイートを見かけた。
伊達直人を名乗る寄付が相次ぐ一方、佐山サトルを名乗る寄付が無い点に、若者のプロレス離れを感じる。
なるほど、面白いじゃないか。私も同世代なので、よく分かる。
いや、当時、たしかにタイガーマスクの正体は誰なのかは気になるテーマだった。
毎週、小林邦昭選手がマスクを剥ごうとして「あー、見えちゃう!」とか興奮した。
でも、正体だと噂されていて実際そうだった佐山サトル氏がよく分からなかったので、冷静に考えるとどうでもよかったのもたしかだ。
そういえば、初代タイガーマスクの佐山サトル氏は、今回のタイガーマスク騒動に関連してコメントしていたな。
ここでふと考えたのが、「若者のプロレス離れ」ということである。
※これは城氏の発言についてどうこう言うわけじゃなく、言葉尻をとらえるわけではなく、一般論として語ることにする。
思うに、「プロレス離れ」というけど、実は若者はプロレスとくっついてもいなかったんじゃないか、と。
城さんや私は、ゴールデンタイムに、猪木、長州、藤波、タイガーマスク、ハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアントなどそうそうたるメンツがいる世代に育ったわけで、プロレスは実際面白かったし、ゴールデンタイムに無料で見ることが出来たし、見ないとクラスの会話についていけなかったわけだ。
一方、今の若者を考えてみよう。例えば現在の大学生〜若手社会人である80年代後半に生まれた場合、幼少期に起きていられる時間にプロレスを眼にする機会はほぼない。格闘技はやっていたけど。
プロレスラーはたまにバラエティ番組に出てくる人であり、総合格闘技の試合に出てきて負ける人という存在だったのじゃないかな、そもそも。
「プロレス離れ」と言いつつ、接点がそもそもなかったのだ。
プロレスの動員数は80年代よりも、90年代よりも減っているのだろう、たぶん。ただ、楽しみ方が変わっているといえるんじゃないかな?小さめの会場で、ふらりと観に行く、応援している選手を観に行く。そして、会場に行って感じたのだけど、やってくるファンはゴールデンタイム世代から、確実に20代に変わっているかも。活躍する選手も若手に変わっている。飯伏選手をはじめ、若き天才も誕生している。
絶対数の動員では、そりゃ90年代に勝てないのだ。ドームプロレスの時代だったな。ただ、「プロレスはマスに支持されている」、「若者はプロレスを観るもの」というのが、それこそ「昭和的価値観」だと思うのだよね。
そして、今回のタイガーマスク騒動にしろ、プロレスに関するネタになったときにみんなが注目するのは、動員が減ろうとプロレスというのはみんなの心に生きている証拠じゃないかな。
ふと思い出した。愛読している「5号館のつぶやき」さんの3年くらい前のこのエントリーだ。
「若者の**離れ」
面白いので、ぜひ最後まで読んで頂きたい。
特に最後のこの1文が好きだ。
この「**の**離れ」という言葉を聞くたびに、その発信源となっている人々の傲慢さと鈍感さをいつも感じてしまいます。若者はあなた達を儲けさせるために存在しているのでもないし、その人達が売ろうとしているものが、たとえ相対的だとしてもその時点における彼らにとって価値がないものだと判断されているだけのことを、あたかも若者達が変化したことに問題があるかのごとくに言っている限り、問題は解決しないような気がします。
嫌いな言葉です。
うん、私も「○○離れ」という言葉は無責任で嫌いだ。この手の報道がされるたびに、状況を分かっているのか?一方で関係者は「離れない」ように努力したのか?とツッコミたくなる。特に「若者の」と言う人は、実は若者を分かっていない。
そして、実は問題は、上の世代の若者離れなのかな?
…私はまったくプロレス離れしていない。いや、離れていたのだけど、復活中。さて、100年に1度の逸材、太陽の天才児棚橋に挑戦するのは真壁かな、小島かな?同世代として、真壁を応援している。いつも我が家では私が真壁の真似をするので、妻はウザそうだ。
でも、雨宮処凛さんが一生バンギャ宣言したように、私も一生プロレス小僧、ロック小僧でいたいと思うのだ。
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