私の『半沢直樹』論が朝日新聞デジタルに掲載。明日の朝刊「耕論」のコーナーにも載る予定。担当は推し記者の藤田さつき記者。夢のようだ。生きていれば春がくる。

2020-09-26 13.33.39

文面にもあるが、私は半沢直樹とりが半沢直樹になったようなもので。なんだかんだとハマった。最終回は泣いた。正論を言い続ける勇気をもらった次第だ。



実は取材を受ける前に、あまりに嬉しくて、神田桂一さん、菊池良さんではないが・・・。自分にエア取材して、藤田さつき記者ならこう書くだろうなという原稿を一度書いていた。もし、常見陽平が半沢直樹ネタで朝日新聞「耕論」に載ったら。妄想原稿。

 「半沢直樹」を見ているとハラハラします。ドラマチックな展開、「倍返し」に象徴されるますます芝居がかったセリフだけではありません。数分に1回、コンプライアンス違反そのもののシーンがあります。今どきの会社では、相談ホットラインがパンクしそうです。
 「男社会」そのものでもあります。たしかに、国土交通大臣、政府系銀行の幹部などで活躍する女性も登場しますが、圧倒的な男比率の高さに絶句します。しかも、「男性を支える女性」像が描かれております。いま、2020年の秋ですよね。もう時代劇そのものです。そう、設定も演出も「サラリーマン歌舞伎」なのですね。
 左翼知識人としては「観たら負けだ」と思っているのですけど、思わず日曜の21時にはテレビの前に座ってしまう。ここが悔しいところです。思想難民と言われてしまいそうです。でも、毎回喜怒哀楽が爆発します。なんせ、キャストも豪華です。前作も大ヒットしましたし、売れる要素しかないわけですよ。
 私自身、会社員を15年間経験してから、評論家、大学教員になりました。左翼一家に生まれ育ったのに、リクルート事件を暴いた朝日新聞を愛読しているのに当のリクルートに入社してしまった、家族から「転向」と言われても仕方がない生き方をし、大いなる寄り道をしてしまいました。もともと労働問題に関心を持っていましたが、ますますこの国の働き方は問題があると認識したのは、会社員時代に体験したことです。長時間労働、休日出勤、接待、宴会芸、強制参加のゴルフ、左遷、パワハラなど、企業社会の問題、社畜の象徴とされることは一通り経験しました。上司・先輩の不倫を目撃したこともあれば、鬱で休職したこともあります。
 ただ、これだけ嫌な想いをしてきたのに、会社員生活を否定することはできません。みんなで残業して成果を出したときの高揚感、安い居酒屋で役員、上司、先輩と泣き笑いしながら乾杯した日々のことは否定できないのです。
「半沢直樹」にはこのような、会社員の喜怒哀楽が、脚色され、濃密化され、詰めこまれています。だから、皆、「どうせお伽噺だから」と思いつつ、思わず観てしまうのでしょう。
そして、私たちは昭和や戦後を総括しきれていないなと思うのです。平成は、昭和を壊した時代でした。「平に成る」とも書くわけですが、フラットな時代になったようで、それはある意味、一億総中流から、さらに平らなようで、下に落ちた時代でもありました。経済的には小泉改革だ、アベノミクスだと言いつつ、指標によっては30年間成長しなかったという見方もできるわけです。自由な働き方が何度も提案されたのにも関わらず、それは危険な働き方でもありました。結局、メガバンクのエリートサラリーマンは、それなりに眩しく見えてしまうわけです。
 そのメガバンクも、最近ではマイナス金利で凋落しています。人気企業ランキングのベスト20にメガバンクは入っておりません。採用もかなり抑制されています。
 不健全だと思います。同時に、ある意味平和なのかなと思います。この時代劇に大衆が未だに夢中になってしまうのは。
 ちょうど、7年8ヶ月続いた安倍政権が終了し、菅政権がスタートしました。新生立憲民主党もスタートしました。でも、男だらけと揶揄されています。半沢直樹の役員会のシーンの方がまだ女性が多いです。男社会ですけど。環境はどんどん変化していくのに、いまだに昭和が続いているようにも感じます。
 菅義偉が言った、自助なる言葉は自己責任の言い換えです。新自由主義そのものです。でも「倍返し」にもその匂いを感じます。いま、必要なのは「恩返し」の再生であり、さらに言えば、社会を変える「ちゃぶ台返し」です。
 「半沢直樹」シリーズは令和時代に、数年に1回作られるでしょう。なぜなら、売れているからです。これ自体、メディアや大衆の劣化を感じますけど。でも、10年後の「半沢直樹」シリーズ最新作の役員会は、老若男女、様々なハンデを抱えた人、多様な国籍の人が参加していてほしいです。これからも激しく傍観したいと思います。


もっとも、書いたあと、猛反省して。あまりにつまらなく。そして、よく言われる「男社会」「コンプライアンス違反」という批判も、それそれで世の中の現実でもあるわけで。「時代劇」という批判も、人によってはここまで脚色されていないものの、現実という人もいるわけで。そんな世の中は変えていかなくてはならないが、とはいえ、そんな現実を生きている人もいる。

トヨタ自動車との合弁会社にいた頃のことを思い出した。その頃、学んだ言葉は「異常識」で。常識が異なる、と。みんなが全国紙を読んで最先端の働き方をしているわけではない。最先端風の働き方をしている企業でも「とは言ってもね」という事案は多数なわけで。

まあ、私が大好きな島耕作がそうであるように、ちゃんと全部、見た人と、そうではない人では印象が異なるわけで。最終回は、それぞれがらしさを発揮し。そして、数では男社会ではあるものの、登場する女性がそれぞれのらしさを発揮していた。まあ、それぞれ昭和的だなあ、いや、平成流のバリキャリだなあというステレオタイプを感じてしまったが。

上野千鶴子東大入学式スピーチ、教え子の女子学生(しかも、前のめりな学生)たちの本音の意見を思い出した。「この人は頭のいい女性前提で社会を考え、押し付けている」「かわいさを発揮するのはダメですか?」という。これまた賛否よぶ表現かと思うが。

最後の半沢と大和田のエール交換もナイス。古巣リクルートでよく言われた「お前ならできる」という言葉を思い出しました。「自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ」というリクルートOBやそのシンパがよく言う言葉(まあ、これを自ら言う人は痛い人や、リクルート時代が人生最高という人も散見されるのだが)は嘘っぱちで。悪く言うと、所詮、機会をつくって大喜びなのは会社だし。よく言うと、実は機会を部下のためにつくってあげられる人が多いということですな。

というわけで、会社と社会が少しでも変わるように、正論を言うこと、少数派なることを恐れないことを大切にしたいと思った次第だ。感謝。