一橋大学のOB・OG組織、如水会から登録内容確認のお手紙が届いた。一番最後の欄が神がかっていて、思わずほくそ笑んでしまった。中川淳一郎をはじめ仲間と一緒に頑張ったプロレス研究会(本当は、一橋大学世界プロレスリング同盟だけど)、竹内弘高ゼミナール(先輩には日本マクドナルドCMOの足立光さんや、電通の今をときめく篠原誠さんはじめ、活躍している方がいっぱい)、そして札幌南高校だ。私のルーツだ。
ちょうど、いま出ている『中央公論』の連載コーナー「名門高校 俊英の軌跡」に札幌南高校が出ており(いつも私に批判的なコメントを書く諸君、どうせ君たちはトシヒデと読んだだろう、シュンエイって読むんだぞ すぐれひいでていること、そういう人という意味だぞ)。3人のOBが紹介されているのだが、そのうちの一人に、大変申し訳無いことに、私なんかが登場している。大変に光栄だ。いや、私のもっとも身近な札幌南OB・OGは私の家族、母と弟なのだが。母の影響で札幌南を受けたとか、札南らしさは母から学んだとか、そういうエピソードも出ている。本当、申し訳ないなあ、と。
もっとも、私以外の方のコメントも含めて、実に痛快な記事だ。ああ、自由で面白い高校だったなぁ、と。いや、周りにいる人の個性と知性が強すぎて、正直、若い頃は辛かったこともあったのだけど。
毎日が都市伝説みたいな日々だった。もう、毎日がスペシャルで、常に何か事件が起こるという。私服だし、休講もあるし、大学みたいな感じ。私はライダースジャケット(今も持っている)と、メタルTシャツなんかで通っていた。球技大会や学校祭の後はススキノで打ち上げ、修学旅行は凄いことになる、という。先生同士が生徒の前で喧嘩をしたことも何度もあり。主張するというのはこういうことかと思った次第だ。
OBの渡辺淳一先生のインタビューが図書館の会報に載ったのだが。高校生に読ませるのはどうよというエロい発言が全校生徒に配られたのも懐かしい。
受験勉強が嫌いでひたすら音楽を聴き、本を読む日々だった。まったく記憶にないのだが、当時も家ではロックな発言が多かったそうで。祖母は「陽平は不良になった」と言っていたそうで。弟には先日「あなたが兄で本当に大変だった」と面と向かって言われた。
ああいう自由な日々があったので、大学に入ってからは、なんだろう、この高校みたいな空間はと思ったりもした。まあ、中川淳一郎と竹内先生に出会ってから変わったのだけど。うん、当時は他人の個性に圧倒されたり、将来にぼんやりとした不安を抱えていたりしたけど、あれは、原点だなあ・・・。
娘も札幌南に入れたいなあ・・・。移住するか、多拠点生活にするか、母に預けるか(いや、その時は80代後半だからな)。
何かこう、自分の原点を確認した次第だ。これからも、空気読まず、協調性なく、頑張るよ。ありがとう。
名門校といえば、おおたとしまささんのこの本が気になって仕方ないなあ。
最新作、よろしく!この本をきっかけに諸々、依頼が増えた。