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人材マネジメント論的に言うと、教育と人材育成は違う。成長と育成も違う。無意識に使っている言葉には明確な意味の違いがある。その違いに対して丁寧に向き合うのか、無頓着かによってその人の姿勢が問われる。それは学生、学者の世界はもちろん、実務家の世界だって本当はそうだ(いや、むしろ、普段のビジネスにおいて、丁寧に使い分けているはずなのだが)。

それにしても、「勉強」という言葉は厄介だ。人によって、想像する分野ややり方がまったく異なる。例えば真面目な女子大生が「勉強」という言葉から、大学のゼミや各科目の課題に取り組むこと、TOEIC対策をすることだったりする。意識高い系ビジネスパーソンにとっての「勉強」はSNS上で経営者がオススメするビジネス書を読み漁ることだったり、普段の業務に役立つプレゼンテーションやデータ分析の技法を身につけることだったりする。しかし、この「勉強」を否定するわけではないが、これだけを「勉強」だと捉えているとするならば、人生の楽しみを放棄しているように思える。



既にベストセラーになりそうな勢いで売れている、気鋭の哲学者千葉雅也氏による『勉強の哲学』(文藝春秋)は、勉強に関する見方を根本的に変えてくれる本だと言えよう。いかにも、人文系の本や、この春、大学に入学した学生向けの本だと思われるかもしれない。ただ、この本を手にとるべき人とは知的刺激に飢えているビジネスパーソンではないだろうか。あるいは、真面目に先生の言うことや、課題図書の内容を覚えることが勉強だと思っていたタイプの人である。人生の根底に革命を起こすための勉強とは何か。その原理と、実践法が本書では惜しげもなく公開されている。

この本を読んで、私は学部生、院生時代のことを思い出した。特に学部時代においては、皆、単位が欲しい(落としたくない)と思い、講義に出席し、過去問を研究し、答を覚えようとする。しかし、勉強を楽しんでいる者にとっては、そんな行為はどうでもよく(はないかもしれないが)、自分の視点を鍛える、あるいは自分の考えを壊す、知的トレーニングを行っているのである。そのような勉強をシている者の読書量は凄まじく、深く、広かった。まさに本書の提唱する「これまでの自分を失って、変身する」ことの繰り返しだ。

院生の頃は「君は簡単に答を出しすぎる」と何度も叱られたりもした。答を急いではいけない。今までの自分で出せる答などどうでも良いのである。

「そもそも勉強とはなんだろう」という問いに立ち戻り、「こんな勉強の世界があったのか」と気づくための本である。ビジネスパーソンに広がることを期待する。新しい自分を手に入れたとしたならば、ビジネスにも有益だろう。