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なんせ、電通である。自死した高橋まつりさんの上司の書類送検、社長の辞任だ。ただ、この件、ずっと警鐘を鳴らしているが、電通叩きで終わってはいけない。自分事として捉えなくてはならない。さらには、電通の叩き方も気をつけないといけない。丁寧に叩いてあげないと、偽善、茶番に満ちた改革が行われてしまうからだ。

前提として、もともとこのような事態が起こると、書類送検されることはあり得るというか、当然だ。そして、経営陣もなんらかのかたちで責任をとることを社内外の人が期待する。ただ、現実に異例のスピードでこうなったということは大きな前例ができたと言える。

これまでブラック企業問題で話題となった企業は、新興の急成長企業が中心だった。経営者が著名で個性が強い企業などもあり「あの企業ならしょうがないな・・・」と思われていた。今回、大手広告代理店電通でこのようなことが起こったということのインパクトは大きい。

ここでまたメディアは「鬼十則」などを持ち出した議論や、電通の組織風土の特徴などを持ちだした議論をしている。気持ちは分からなくない。読者もそのような、わかりやすく叩きやすい絵を期待しているのだろう。企業を論じる際は組織風土については避けては通れない。とはいえ、皆、いつの電通の話をしているのだろうと思う瞬間がある。組織風土の問題を、武勇伝とともにからかい半分で論じるから本質が見えなくなるという部分も意識するべきではないか?

そもそも、クライアントからの無理な依頼を受けざるを得ない状態になっていたことに注目したい。さらには、電通の取引先である映像制作会社などの方が労働環境が劣悪であることは明らかである。このような取引全体の仕組みを理解しなくてはならない。

要するに電通でこのようなことが起こったということは、日本の多くの企業において「次はウチも・・・」という話になるわけだ。メディアから取材を受けるたびに「ウチも電通さんのこと、言えないのですけど」という話になる。中には、経営者が直々に長時間労働是正を従業員に訴えかけた会社もある(お前が率先してやれという話だが)。繰り返しになるのだが、自分事として捉えなくてはならない。

電通の記者会見は、「巧妙」だったと私は見ている。他社の記者会見のサポートなどをしている企業だけある。「巧妙」と言ったのは、誠心誠意でお詫びしている風になっており、断定的なことは可能なかぎり避け、行間を読ませるようになっていることだ。

もっとも、「やっぱり全然変わっていないんじゃないか」という声もあるが、私は急激な変化もまた危険だと見ている。それがまさにサービス残業を誘発するのだ。あるいは、ほとぼりがさめるまでおとなしくしておこうという、「変化」ではない「装い」につながっていく。

例えば、メディアは22時に消灯する様子を何度も映すのだが、いままで不夜城と言われていた企業でそうそう簡単に業務の絶対量が減るわけではない。このような残業規制は社会全体でもするべきだという議論があり私も賛成だし、制限を設けることで改善も進むし、物事の考え方も変わるのだが、やり方を気をつけないとサービス残業を誘発してしまう。

22時に消灯する様子を伝えたメディアは多数あったが、その後、社員が何をしているのか追ったメディアは少ない。その点、12月28日の朝日新聞朝刊は、様々な角度からこの問題を追っていて秀逸だった。もっとも、ここで「減ってないだろ、けしからん」という話にするのではなく、「なぜ、減らないのか」「どうやったら減るのか」という視点で見なければ、偽善の連鎖につながってしまう。

まさに「働き方改革」の事例で取り上げられる企業でもよくある話だが「改善している風」「見せびらかすための改革」になってしまってはいけない。処置と対策は違う。電通の件も、22時退社、「鬼十則」の手帳からの削除などは、批判をかわすための「処置」としては正しいが、対策はまだこれからだ。

というわけで、言いたいことは、電通問題のようで、これは自分事として考えないといけないぞということと、だからと言って「変えてる風」ではダメで、ましてやサービス残業を生むようなやり方ではダメで、処置と対策は別に考え、中長期で考えないといけないという話。長年、入社式での社長の挨拶や、新人研修の様子を追っているが、来年は景色がだいぶ変わるだろうなあ。

最後にお知らせ。本日、12月29日の20時より、働き方問題に関してAbema TVに出演。芸能人さまだらけの中、何を言おうかなと思うが、頑張る。