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9月8日に、気鋭の育児・教育ジャーナリストであるおおたとしまささんと「俺たちの働き方改革ナイト」というイベントを開催した。おかげ様で超満員。しかも、男性が9割強。皆、働き方改革や、イクメン現象に対して曖昧な不安を抱いているのだと確信した。

昨日、東洋経済オンラインに記事が掲載された。サイトの関係で、載ったのはダイジェスト版だったので、東洋経済オンライン編集部、おおたとしまささんの了解のもと、イベントで語られた内容の全文を掲載する。

手前味噌だが、多様な視点がカバーされた超絶良対談なので、ぜひお時間のある時に全文を読んで頂き、シェアして頂きたい。



おおたとしまささんの最新作も夜露死苦!

常見陽平×おおたとしまさ イベント
「俺たちの働き方改革ナイト〜ワーク・ライフ・バランス、イクメン現象の虚像を剥ぐ〜」
『ルポ 父親たちの葛藤 仕事と家庭の両立は夢なのか』発売記念

「ワーク・ライフ・バランス」「イクメン」「女性活躍」「労働生産性向上」「雇用流動化」などという言葉を耳にするようになって久しい。国家が掲げる「一億総活躍プラン」における「働き方改革」のなかでもこれらは主要なテーマとなっている。「働き方改革」によって、労働のあり方、価値観、育児や家事などの生活において、新しい変革がもたらされつつある。しかし、これらの変革は、単に人々の生活を豊かにするためではない。低成長社会、労働力人口の減少などの変化が関連している。これらの変革が、さらに労動者の首を締めつつある可能性があるのではないか?それでは一体どのような働き方が望ましく、そこで国家はどのような役割を果たすべきなのであろうか?育児・教育ジャーナリストおおたとしまさ氏との公開対談の模様をお届けしよう。


●イクメン現象と女性の社会進出は不況の賜なのである

おおた:「東洋経済オンライン」で、「1人ブラック企業化するしかない父親たち」というテーマの記事を3本書きました。よく、「お父さんたちは大変なんだ!」ということを言うと、「いやいや、無駄が多いからだろう!」とか、「労働生産性が低いからだ!」とよく言われるんですけれど「いやいや、ちょっと待てよ」というような記事を3本立て続けに出したら、累計240万PVを記録するという。

常見:注目度が高いテーマだということでしょう。今日のイベントもおかげ様で満員で。しかも、男性比率9割強というのは、みんなが問題だと思っているということではないでしょうか。よい問題提起だと思います。

今はイクメン現象たるものをみんなで煽っているんだけれども、「イクメンってやっぱり“無理ゲー”ではないのか?」っていうことがあって。「僕たちはどこまですごくならないといけないのか?」みたいな問題でもあります。

そもそも、イクメン現象は、実はブラック企業化みたいなものじゃないかと。

おおた:ブラック企業化は、個人個人が、要は、お父さんが自分で会社でも徹底的に働くし、家でも徹底的に働き、一人ブラック企業化しているのではないかというね、そのようなことを書きましたね

元朝日新聞の和光大学教授の竹信三恵子先生は『家事労働ハラスメント』(岩波新書)という本を発表しています。家事や子育てという、お金ももらえないし、誰も褒めてくれないような労働を一気に女性が引き受けていたことによって、日本の男性は、俺たちイケイケだぜという風な時代を謳歌できたんだという。だけどそれって不公平だよねって、男女平等という観点でもそうだし。「女性の社会進出」なんて言いますけれど、今まで女性は社会にいなかったのかみたいなニュアンスがよく言われていて、それってひどいですよねと。誰からも評価されていない仕事を押し付けられているという意味で、この「家事労働ハラスメント」が最初に使われたんですよね。

常見:「女性の社会進出」は賛成ですが、その前に家庭も立派な社会であり、家事労働は労働なんです。

これは「日本的・昭和的フレキシキュリティ」の崩壊ですね。「フレキシキュリティ」というのは、「フレキシビリティ」と「セキュリティ」の合わさったものです。男性が終身雇用で働く。会社の福利厚生もある、年功賃金で上がっていく。フレキシビリティは、女性が柔軟に対応するということです。

主にこれは、女性なんですけれども、家事をしながらパートで働き、家事労働というものを家庭の中で引き受けることによって育児もできる。男性の給料でうめる、と。

おおた:数年前に別の意味で「家事ハラ」という言葉が流行って、炎上しました。

ある住宅メーカーさんが、共働きの、2人で家事をするためのお家を作りましょうというプロモーションのなかで、せっかく旦那さんが家事をやろうと、例えばお皿洗いをしたりとか、洗濯をしたりとか、洗濯物を畳んだりとか、そういうことをしているんだけれども、それを奥さんが「ちゃんとできていないじゃない!」って言っちゃって、旦那さんがやる気をなくしてしまうという。そういう意味での「家事ハラ」という言葉をCMで使ったところ、大炎上してしまったということがあったんです。

元々はそういう社会構造のなかで、女性が評価されない仕事を押し付けられていることを「家事ハラ」と言っていたんですね。

だけど、この低成長時代、景気の停滞時代、労働者の数が減っていく時代において、共働きをする必要が増えていく。男女平等が進んだから共働きが増えていったというよりは、経済的なニーズのなかで共働きをせざるを得ない家庭が増えてきたという文脈が、たぶん正しいと思うんですよ。

常見:女性の社会進出が進むのも社会が苦しくなった時です。アメリカで女性の社会進出が進んだのは、ウーマンリブ運動ではないですからね。「双子の赤字」だと言われた時代に、男性1人の給料で家庭がもたなくなり、女性も働かざるを得なくなった。日本でも、皮肉なことに貧しさが社会を変えるのではないかと見ています。

立命館大学社会産業学部の筒井淳也先生が『仕事と家族』(中公新書)のなかで指摘しているのですが・・・。ざっくり言うと、「高学歴バリバリキャリア層の2人とも稼ぐ共働き」と、「貧しい人同士で結婚してしまった、貧しい共働き」っていうのが現に存在するんですよね。

おおた:筒井先生が指摘しているのは、これから共働きが当たり前の世の中になっていくと、ますますこの学歴格差、経済格差、そして教育格差が進むんじゃないかと。要するに、高学歴の女性は高学歴の男性と結婚するし、そうじゃない人たちはそうじゃない人たちで結婚すると、差が大きくなるわけです。そしてそれが次世代にも継承していくと、ますます格差はどんどんどんどん広がっていって、進むんではないかということを、筒井先生が指摘しているんですよね。

このように、共働きが増えてきて、女性も働くようになってきたところ、中野円佳さんの『「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか?』(2014年、光文社新書)という本が話題になりました。

女性が今の社会のなかで働こうと思うと、ものすごいジレンマを抱えなくてはいけないという時代になってきた。その一つの理由としては、男性が家事をやってくれないし、育児をやってくれないし、共働きでどっちも働いているはずなのに、どうしていつまでも女性だけがやらなくちゃいけないんだというような、ざっくり言うとそういう風潮が出てきたんですよね。そこで、男性も育児しようよ、家事もしようよと。これがイクメンに対するニーズが出てきた背景です。

僕が皮肉っぽくよく言うのは、「イクメンは不況の賜物である」ということです。不況が生んだものであるというか、そういう言い方もするんですけれども、そうやって、男性でも家事や育児をするイクメンのニーズが高まってきましたよと。そして、これで解決なんじゃないかと思ったとところ、いやいやいやそうではないと。今まで男性が仕事をしていましたが、奥さんも仕事をしているから、なんとか自分だけが楽をするのではなくて、奥さんの負担を僕も分担しなくてはいけない、そこまではわかっている。

だけど、仕事終わって、フルタイムで働いていて、そして家に帰ってきてから慌てて料理作ったりとか、もしくは料理が間に合わなくて皿洗いをしたりとか、子どものお風呂を入れたりとか、帰ってきてからも休む暇がないという風な状態のなかで、疲弊していくお父さんたちというのがいるわけなんですね。

私が、もうかれこれ7、8年くらい完全に個人で、ボランティアで「パパの悩み横丁」というサイトをやっていて、そこには日々お父さんたちからメールで悩みが送られてくるんですね。そこでよくあるのが、「僕は仕事をしていて、家でもほとんどの家事をやっています。それでも、妻からはまだ足りない、世の中のイクメンはもっとやっていると言われます。本当なんでしょうか?」という質問なのです。

かといって、じゃあ女性がやっていればいいのかといえば、そういう問題でもないと。どこにこのしわ寄せを寄せたらいいのってなってくるんですよ。奥さんもつらいし、夫も辛いと。

今度じゃあそれがどこにしわ寄せがいったかというと、中間管理職なんですよ。これが「イクボス」なんですよね。「イクボス」っていうのは、育児に理解のある上司という意味で、最近よく聞かれるようになってきた言葉なんですね。そして、今度は中間管理職が部下の育児をちゃんと理解して、例えば子どもが病気になったらちゃんと帰れるような体制を作って、もしくは育児中の男性社員であれば、早い時間に帰れるような体制を作って、でも成果を落とすなよということを言われているというね。

でも、それ無理だよって。その分1人や2人補充をしてくれるのであれば、やりようがあるかもしれないけれども、今までと同じメンバーで、かつその人たちも早く家に帰れるようにとか、残業をしないようにと言われているなかで、それでも今まで以上の成果を出してくれよというようにと今中間管理職は求められていると。結局このしわ寄せをぐるぐるぐるぐる3人で回してババ抜き状態になっているんじゃないのということで、この本の中では、まず男性の本音をインタビューして、次に奥さんも、会社の管理職もインタビューしています。


🔴家事労働を巡るババ抜き問題

常見:女性をカバーして、女性の意見を尊重するっていう時点で、実は男女平等ではないと思うんですよ。「女性が弱いから守らないと」ということがそこで可視化されているわけですよ。理解あることを装ってね。そんななかで、男性の弱音をちゃんと今、今回「働き方改革」の文脈で言わないと、過労死ならぬ「家事死」する男性が現れてくるんじゃないかという気がするんですね。

おおた:それは本当にシャレにならないことで。僕のところに相談で送られてくるメールとかでは、「フルタイムの正社員で仕事をしていて、家に帰っても家事をほとんどしなくてはいけなくて、妻は子どもの面倒をみるだけで、僕の毎日の睡眠時間が3時間です。あとどれだけ続けなければいけないのでしょうか?」という相談もくるのです。「イクメン病」ですよ。

僕もそこまでやるのは無理でしょうと言っているんですけど、妻が怖いと言うから、ちゃんと奥さんが怖くても思いを伝えないといけないよって伝えるわけなんですけれど(苦笑)。イクメンと謳って、「家庭の時間を充実させましょう!」、「家庭の時間を増やすためにとにかく仕事を早く終わらせましょう!」と言って、結局最初に仕事を終わらせなくてはいけないっていうことですよね、その呪縛から離れられないという。結局仕事のことばっかり考えているという。

常見:今回おおたさんの話を聞いて、「イクボス」問題をちゃんと研究しなくちゃと思いました。今は管理職にすべての色々なしわ寄せがいっていて…。

おおた:だから中間管理職のその上司や経営陣が、もっと腹を決めて、「一時的に成果を落としてもいいから、働き方変えようよ!」と、そこまで腹をくくってくれるのならばいいけれども、それをしないで、これはリスクマネジメントだからという風にこれを中間管理職に押し付けてしまうと、じゃあ今度はしわ寄せがこっちに戻っていくみたいなね。このままだと、そういうことをぐるぐるぐるぐる続けるだろうなっていうことですよね。

主に「家事労働ハラスメント」の話では、女性が一生懸命育児や家事をしたりとかをしてくれてくれたからこそ、一方で男性側がめちゃめちゃ長時間労働をすることができて、それによって世の中が成り立っていたんです。そう考えると、夫婦もしくは一つの家族っていうのは、今までの日本では、正社員の平均の労働時間がたぶん8時間40分とかそんなもんだから、仮に9時間とすると、一つの家族から、9時間の労働力を社会に提供すれば、とりあえず小さなマイホームが買えて、子どもたちを大学に行かせることができるというような社会だったわけなんですよ。けれども、今目指しているこの「一億総活躍プラン」というのは、「夫婦で皆フルタイムで働きましょう、そうしたら労働力も出るでしょう」と言う。それでは、家事の労働はどうなるの?っていう話なんですよね。例えば、それはスウェーデンにおいては、それを国が買い上げるわけですよ。

常見:海外の例を論じる際は、そのシステムが、どう回っているのかを論じないとダメですよね。

おおた:無賃労働のところを、有賃労働にするわけですよ。国家としてそういうケアワーカー、子育てをする人、それから介護をする人、そういう今まで家事分野といわれていた所を、ビジネスにする。そこに女性を雇い入れることで雇用を創出したと。そういうことができていた。アメリカの場合はどうしているかというと、これは、経済格差を利用して外国人の労働者をメイドさんとして雇うことによって成り立たせていると。じゃあ、日本ではこれをどうするのという問題は置き去りにされていて、これを皆男性も女性もやらなくてはいけないから、さっきのババ抜きが起こるという。

常見:女性の活躍はどの国でも、何らかの問題を抱えています。そういうサブシステムの議論もしないと、適切な評価はできません。

おおた: ババ抜きを止めようと思ったら、一旦売上や利益を落とすしかないです。それを受け入れるかどうか。僕はそこに一つ判断の基準があっていいと思うんですよね。基本的には経済が上手く回ってくれる方がいいんだけれども、それをリモデルする時に1回立ち止まる勇気も必要なんじゃないのと。

だから、一旦僕も会社を辞めるという決断を、まさに子どもができたからこそしたわけなんですね。そこでリスクがあるわけですよ。

けれども、意外といいよ、と。年収下がるのも覚悟でやってみて、そこで覚悟を決めて新しいところで軸足を置いてみると、こっちが上手く回りだして、もう一回また軸足を戻すと意外と上手くいくというのは。

よくこれは育児の講座なんかでもお話をするんですけれども、子どもが生まれて、これから育児をしなければいけなくて、今までは夫婦で働いていましたが、これからライフスタイルが変わってしまうという時に、1回育児に軸足を移しちゃえよ、と。育児を始めるということは、新しい新規事業を立ち上げるようなものなんだから、会社の中で新しい新規事業を立ち上げるとなったら、とりあえずそこに軸足を置いて、既存事業というのをなんとか惰性で回るようにしといて、それを完全に落ち切らないうちに、早く新規事業を波に乗せて、また元の既存事業をテコ入れしていくという風な、そういう優先順位をつけると思うんだけれども、家庭においてもそれをやればいいと思うのですよね。

一回ちゃんと家庭が、子どもがいても回るように、奥さんと旦那さんと協力をして、子育てをできる体制を整えてから、もう一回「またしばらく僕仕事に集中したいからいい?」って言えば、納得してくれる。

けれども、「育児が!仕事が!」ってやっていたら、結局どっちも上手く回らないよねっていう、その切り分けだよねと思うのです。

だから、常にワークとライフがピタッとバランスをとるなんていうことはありえないと思うんですよね。こうやってシーソーみたいに、動かすことよってバランスをとるというフォームがたぶんバランスとりやすいんです。

あと、先程言いましたが、日本では一つの家族から9時間の労働を社会に提供すればそれで子どもを育てることができるような社会であったのです。それをこれから夫婦で、男女平等という文脈から夫婦で同じように働こうと思うのであれば、本当であったら一人4.5時間でいいんですよね。それ以上働いちゃったら、今度は家庭の時間が減るということで、その分どこに補填するかということを考えなくてはいけない。本当に4.5時間が正解かどうかは別にして、さっきのいくつかの延長線上で言えば、それ以上今度は提供しなければいけなくなったとしたら、家庭の時間が減るというそういう社会になっていくということに気づかなくてはいけないのです。

要するに、手放す勇気なんですよ。一回手放そうと。でもジャグリングと同じで、一回手放して落ちるまでにキャッチすれば、いつも落ちないよというのを、国としてもやった方がいいんじゃないのっていう。いつまでも握り続けているから変わらない。一回手放して落ちる前に取ろうよと。そういう作戦って考えられないの?というのが僕の問題意識ですね。


●「一億総活躍プラン」が抱える問題とは?

常見:「一億人総活躍プラン」について考えましょう。素朴な疑問として、「総活躍しないと国って回らないんだ」と感じる方もいることでしょう。気をつけないと「一億総搾取」です。もっとも第一次安倍政権でも、民主党政権でも、「全員参加型社会」にするという政策はずっと動いていたんですね。

おおた:働きたい男性も女性も、働けることはOK。だけど、一億人のなかでも働きたくない人は働かなくてもいい、それも認められる社会にしなくてはいけないはずなのです。今は「全員働かないといけない」みたいな風潮になっているかなと思います。

常見:総動員しないと社会って回らないのか、という。日本的・昭和的なフレキシキュリティの崩壊みたいなことがあるんですよね、その文脈でね。

おおた:当然そこでは、将来的に少子高齢化社会が待っていて、労働力が下がっていくから今からみんなが戦える体制を作っていこうという趣旨であることはわかるんですけれどね。

常見:そのおおたさんが、「一億人総活躍プラン」の違和感についてまとめておられますよね。

おおた:この「一億人総活躍プラン」というのは今年の6月2日に閣議決定されたのですけど、読んでいくとまぁ、「霞が関ポエム」みたいな文章が並んでいまして、吹き出さずにはいられないんですけれども。ツッコミどころ満載なんですが、例えば「…こうした少子高齢化の進行が労働供給の減少のみならず、将来の経済規模の縮小や生活水準の低下を招き、経済の持続可能性を危うくするという認識が、将来に対する不安・悲観へとつながっている」という文章が入っているんです。これって、「少子高齢化が進行するから、世の中に不安や悲観が漂っているんだ」みたいなロジックで、それは逆じゃないのと思うのですよ。

世の中に対する不安とかそういうものがあるから、子どもを産まないような方向性に人々の考え方がなっているんじゃないのでしょうか。因果関係をひっくり返して話を始めているのです。

他にも、「力強く日本の経済が成長していくとともに、その成長という手段を使って、国民みんなそれぞれの人生を豊かにしていくことを目指す」と謳い、要するに、「日本の経済が成長しないと、お前らの豊かさはないぞ」と。それって国が言うことでしょうか?国の役割って何でしょう?

僕は、国の役割っていうのは、経済をリードするというよりは、経済が上手くいかない時こそ、皆がなんとか生き延びれるような社会をつくっていくことではないのかということを単純に思うので。だから、このような理屈が閣議決定するような文章で出てくることは、ちょっとびっくりするんですよ。

もう一つが、「少子高齢化の克服を諦めてしまったら、私たちの子や孫の世代に輝かしい日本を引き渡すことができない。責任の放棄である。」と、こう言っているわけなんですけれども、そもそも少子高齢化って克服しなければいけないものなのか?そんな問いもあるのですよね。

この少子高齢化という、子どもが減っていく、人口が減っていくっていうのを受け入れたうえで、じゃあどうするのって発想も本当は選択肢としてあるはずなのですが、そこが最初から消されてしまっている、結論ありきの前提っていう。

常見:政策に関して言うと、因果関係が怪しいものがありますね。例えば、「ワーク・ライフ・バランスが優れた企業は、業績が上がっている」っていうのは、いや、誰が見ても逆じゃないのかと思うのですよ。儲かっているから見せびらかしのワーク・ライフ・バランスなるものをやっているんだよっていう。ベストプラクティスを疑えと言いたいです。

よくありがちな、「この会社はワーク・ライフ・バランスに力を入れたから業績が突出したぞ」という件については真因を究明するべきだと思うのですね。

人口にも関連することですが、社会システムの選択を今は世界レベルで迫られていると思うんですよ。

おおた:そういうことだね。これからどういう社会をつくっていくのかというのが、根本的なテーマですよね。

常見:人口って経済に影響するじゃないですか。新興国の成長は、人口の要因も大きいのは明らかなわけですよ。

少子高齢化って言うけれど、少子化と高齢化って違いますよね。セットで論じられますが、それぞれを検証しなくてはならない。社会への不安と悲観が少子化のせいで広がるわけがなく、それは少子化以外の現実的な問題でしょうっていうね。

おおた:少子化っていうのは色々な問題の結果として現れてくる一つの試金石というか、そのような感じだから。出生率っていうのはそういう数値かなって思うので、それだけを直で上げることっていうのはできなくて。色々な複合的な問題を全体的に良くしていきたいっていう時に、最終的に上がるのが出生率であったりするんだと思うので。

「少子高齢化でこれから労働者が足りない」って言われるんだけれども、一方でいや、AIとかあるんじゃないのと。今の子どもたちは、「これからAIで仕事がなくなるぞ、だから勉強しろ!」と言われているじゃんと。矛盾しているのではないのと。では、少子高齢化で何が困るのかというと、実は労働者が減ることではなくて、消費者が減ることなんですよね。

常見:実はそうなんですよね。労働者と生活者って一緒なんだけれど、消費者があるかどうかってすごく大事で。日本ってなんだかんだ言って、1億2000万人の人口がいる国なんですよ。お隣の韓国は5,000万人弱。グローバル化せざるを得ないのですよ。日本には世界トップレベルの市場であり、消費者を減らさないかどうかという意図が見え隠れしています。

機械との競争および共存というのも、人間は産業革命からずっと向き合っていることなんですよね。機械をなんだかんだ言って支配できるポジションを維持してこそ、そこで効率化は生まれるのでしょうか。

おおた:GDPの規模を求めていこうと思ったら、人口が減っていくなかでは完全にアウトな思想なんだけれども。全体の規模ではなくて、一人ひとりの質というか。だから、人口が減ったことによって、GDPとしては低下するかもしれないけれども、でも一人ひとりの豊かさというのは変わらないという点で、そのような目指し方というのは、僕はあるんではないかと思っていて。別の成長の仕方や、経済成長って何なんだろう、GDPだけだっけ?というところをそろそろ考えなくてはいけない。それはもう資本主義というのがほぼ行き詰まっている。マイナス金利ということ自体が既に矛盾している。「資本主義とは今後どういう風に変化していかなければいけないのか?」ということを、本当は考えなくてはいけない。

常見:いかにして一生懸命働かない社会をつくるか、ですね。一生ずっと年収500万円から600万円で横ばいで、でも子どもを2人大学に入れられる社会が来たらいいなと思うんですよ。しかも、ちゃんと18時に帰れるという。

🔴「働き方改革」は正しい戦術なのか?−それがもたらす副作用とは−

おおた:さらに話を進めると、「一億人総活躍プラン」のなかで、「働き方改革」っていうのが最大のチャレンジであるっていうのがあって。「働き方改革」の方向性についても僕の本では少し出てくるんですけれども、ここで僕の「一億人総活躍プラン」や「働き方改革」についての違和感と、常見さんのそれらの違和感を聞いてみたいなと。

これを見た時に僕が感じたのは、「ゆとり教育」の轍を踏むのではないかと。そういう感じが直感的にしたんですよね、大丈夫かなって。

というのは、「ゆとり教育」で、「詰め込みは止めようよと、知識だけじゃないよ人間は」ということで、子どもたちに、もっとゆったりとした時間を与えて、考える時間を与えて、量よりも質の教育に変えていこうと訴えた。これには誰も反対しないじゃないですか、理念としては。

だけれども、理念先行で、じゃあ教科の授業数を減らして、総合的学習の時間を増やして、そこで今まで教科の枠にとらわれてできなかったことをやろう!って言うだけで、ポーンって丸投げしちゃって、その時にどういう副作用があるのかってことをちゃんと検証していなかったんじゃないのかと。

ポーンっていきなり現場に丸投げしちゃったが故に、「ゆとり教育」なんて元々は、20年後、30年後の社会が良くなるために、そういうクリエイティブな子どもたちをつくろうというはずなのに、もうたった1、2年後の、OECDの学力調査の結果を見て、「ほら、ダメじゃないか!」って。いや、テストの点数なんて言っていなかったじゃないですかって。そういう全然咬み合わない議論のなかで、もう退陣させられていくというね。ということで、揺り戻しが起こり…。

常見:これはちょっと聞きたいのですが、「ゆとり教育」は、そもそも政策としてダメだったのか、落とし方がいけなかったのか?要は、戦略がダメだったのか、戦術がダメだったのかといえば、どちらですか?

おおた:それは明らかに戦術でしょう。

常見:戦術だと、落とし方が悪かったと。

おおた:方向性としては、きっと間違っていないし、今進められている大学入試改革とか、2020年以降の次期、新しい学習指導要領の方向性と完全にこれは踏襲していますよ。「ゆとり」という言葉を使わなくなっただけであって。その方向性は変わっていないんだけれども、これやってから失敗しちゃったんですよ、あの時は。

常見:そういうことですね。

おおた:十分に準備ができていなくって、現場に丸投げし、副作用やどういうことが起こってくるのか、そして、副作用の一つとして、たぶん一時的にテストの点数が良くなくなるということを考えていなかった。でも、テストの点数じゃない価値観をこれから盛り上げていこうよって話だったから、それはしょうがないっていうことを握ったうえでやれば良かったんだけれど、それをみんなにちゃんと言わなかった。理念の部分だけを言って、現実をちゃんと宣言しておかなかった。こんなことも起こると思うけれども、それ以上のやる価値があるんだよっていう、ちゃんと説明をしていれば良かったはずなのに。

常見:PISAの調査も調査上の問題点がありますからね。小さい国や地域が勝ちやすいつくりになっていますし。

おおた:そう、学力自体はそんなに下がっていないんだけれど。

常見:今回の議論のテーマだと思っているのですが、「戦略か戦術か」ということは、日本ですごい根深い問題だと思うんですよ。「戦略の国アメリカ、戦術の国日本」と言われていますが、この「働き方改革」はこの問題を象徴しています。

おおた:理念や理想だけのモノが出てきた時に、それを十分に精査するだけのリテラシー、教育に対するリテラシーを僕たちが持っていなかったと反省しなきゃいけないと思うんですよ。

同じように今回の「働き方改革」についても、「長時間労働を是正しよう」「非正規雇用の格差を是正しよう」「女性の働きたい人がもっと働けるようにしよう」「労働生産性を高めよう」など、これらについては誰も反対しませんよ。けれども、じゃあこのそれぞれの政策をやった時に、どんな副作用があるのっていうことを誰が言っているかって。

常見:誰も反対しないというか、誰も反対しづらいということですね。長時間労働に関しては死んだり、病気になる可能性があるという意味で私は反対なんですよ。

おおた:サブロク協定の見直しとかね。

常見:残業時間の抑制についてもそうなんですけれども、危険な部分があるかと思っています。残業には合理性があるからです。それが強みをなくすことにつながらないかということを考えなくてはなりません。

おおた:いまは成果主義も導入され、年功序列ではなくて、頑張れば頑張るほど給料がもらえるという建前上の仕組みになっている。若い頃というのはスキルがなく、ベテランに敵わないわけだから、量でカバーするみたいな部分があったりして。そうやって成長したいと思うから、たくさん仕事するみたいな。必ずしも良いことだとは思わないけれども、やっぱりここで努力しなきゃって。そりゃ長時間労働で自分が成長するために長く仕事をすると、仕事だと思っていないこと、例えばスポーツ選手がトレーニングを徹底的に追い込んでやるとかね、受験勉強をする学生が1日12時間勉強すると、それを長時間労働と言われてしまったら、どうするのでしょう。

常見:ブラック企業に反対している研究者が、徹夜で研究していたら、人のこと言えないという(笑)。

おおた:長時間労働是正って言っている人が、徹夜でプレゼンの資料を作っているみたいなね。そういう皮肉はありますよね。

常見:あとやっぱり、「アレはオレがやった」というような「アレオレ詐欺」ではないけれど、「便乗詐欺」っていうのがあると思っていて。長時間労働が減ると少子化に歯止めがかかるっていうのは、何割かは本当だけれども、全部が正解ではありません。

おおた:その間にはそうとう論理の飛躍があるんですよね、そこには。もうちょっと論理を丁寧に埋めてあげなくてはいけない。

常見:日本でよくありがちなのは、手段の目的化なんですよね。同じように課題と解決策がマッチしていないんではないかということがあって。

むしろブラック企業問題が深刻化するシナリオがあります。今のブラック企業の特徴の一つは長時間労働です。今後出てくるのは、労働時間が短いブラック企業ではないでしょうか。

だから私の問題意識は「あらゆる手段を使って、仕事の絶対量は減らすべきでは?」というものです。

貧しくなることで格差を是正する、正社員が貧しくなることで格差是正というシナリオもありえるのですよね。私は慰め型の豊かさとは嘘だと思うのです。

おおた:今の同一労働同一賃金で単純にやってしまったらね。

常見:それがすべてを解決するわけではありません。新しい時代の人材マネジメントというか、労務管理の模索も必要でしょう。

おおた:あと副業をOKにした時にね、過労で人が死んじゃった時に誰が責任とるのみたいな。

常見:日本的雇用の恩恵の外にいる人、非正規雇用の人だとか、個人請負の人が増えている時代の労務管理が必要です。

話を少し戻すと、戦略論の大家、マイケル・ポーターが90年代半ばに「効率性は戦略ではない」という言葉を残しましたが、改めて確認しておくと「働き方改革」って「戦略」ではなく「戦術」なのですね。「組織は戦略に従う」というチャンドラーの古典的命題をいまさら出すわけですけど、何を実現したいから、組織や人材のあり方を変えるのかという話が大事です。これからの成長産業は○○で、それを伸ばすために働き方を変えるという話であるべきだと思うのです。

戦略ではなく、戦術に舵をきっているのは危険だなと思った次第です。

おおた:だから課題と解決策がマッチしていないというのは、こういう先程の出生率とか少子化の問題もそうですけれど、複合的な問題なわけじゃないですか。

常見:そうですね。

おおた:色々な円環的な因果律によって起こっている複合的な問題に対して、すごく単純な、直線的因果律的な対策をしてしまうと、どこかに副作用が現れるはずなんですよね、

常見:同一労働同一賃金にしても奇妙で、「同一労働同一賃金」論が「同一ではない」という問題があります。要は、経団連が言っている同一労働同一賃金と、自民党が言っているそれと、野党各党の思惑が違う。今回、経団連が「日本型雇用を否定しない同一労働同一賃金」というレポートを出していますが、それって「同一労働同一賃金」なのかという。

おおた:「一億人総活躍プラン」にも出てきますよ、そういう「日本独自の」っていうのは。

常見:あの、「日本独自の」というのは否定しません。ただ、それが良いチューニングになるかどうかわからなくて。同一労働同一賃金については、木下武男先生が、『POSSE』にすごく良いことを書いていて、「今のままだったら実現しない、だから実現するべきなんだ」っていうね。

長時間労働の是正においては、企業の監督強化の方向で、これは、脱時間給を止めるためには絶対セットで必要なんだけれども、仕事の絶対量を減らすという工夫をやらないと、現場への丸投げになってしまうというリスクがあるわけですね。

●日本の労働生産性は本当に低いのか?

おおた:労働生産性の話もしましょう。

常見:さらに今回議論にしたいことが、「日本の労働生産性は諸外国と比べて低い」という議論があるわけですけれど。それの嘘・本当という問題が、やっぱりあるわけですよね。これから生産性の国際比較を出しますが、これを見て疑問に思うことはありませんかっていう。

おおた:まず左がOECD加盟諸国の一人当りのGDPです。1位はダントツでルクセンブルク、2位はノルウェー、3位スイス、4位アメリカ、そして日本は18位。次は真ん中の、OECD加盟国の労働生産性で並べていくと、1位ルクセンブルク、2位ノルウェーで、日本は21位ですよと。ところで、労働生産性とは簡単に言うとどういう式で求められるんですか?

常見:要は、付加価値額÷労働投入量ですね。これは、すごく深いと思いませんか?つまり、労働投入量がいまいちでも、付加価値額が高かったら、あるいは時給をとことん安くすれば生産性は高くなるということ。あと、本来価値があるものを安く売ったり、0円で売っていたら、生産性は低くなるぞという話なんですよ。

たとえばマクドナルドのスマイル0円っておかしいと思いませんか?スマイル0円とかやっていたら、付加価値額って高くありませんよ。チップだとかを取る国とそうでない国の差ですね。他にも、外国人労働者の問題だとかね。

その計算式でやると日本が不利になることは決まっているんですよ。一方で確かに、「たまにだらだらした会議をやっているよな」とか、「残業やっているよな」というイメージがあって、「改善しなくちゃいけない!」と思い込んでしまうという。

おおた:ルクセンブルクがなんでこんなに労働生産性が高いのかって、これは鉄鉱石が出ているということと、ヨーロッパの金融センターであると。兜町だけでできている国みたいなね。

常見:そうそうそう。

おおた:しかも鉄を掘り出せる資源国でもあるというね。

2番目のノルウェーですが、ノルウェーの一番の産業って何だか知ってます?元々漁業国です、捕鯨もやるような国でした。ものすごく貧乏な国だったんですよ。それが1960年代か1970年代に、一転するんですよ、北海油田によって。

常見:結局石油ですね、産油国最強っていう。

おおた:さっきの労働生産性の式を聞いたんだけれども、この日本生産性本部によると、分母は単純に就業者数になっている。どれだけ儲かっている産業をもっているかということ。

あと一方で、ギリシャとかこの前破綻したばっかりじゃない、日本より上ですよ。

常見:だってアイスランドも破綻しているよね。

おおた:うん、そう。

常見:破綻している国が上にきているのに、それに対してメディアも何もおかしいって言わない。これが「日本の生産性が低いのは正しい」というのを支えていると。

おおた:だから「何やっているんだ日本人は?!」という話にもっていかれるんだけれども、いやいや。彼らの生産性が上がっているんですけれど、なぜかというと、失業率が上がっているからなんですよねという。要は分母が小さくなっていると上がるんですよ、この数字。

常見:失業率が良くも悪くも3%の国なんですよね。

おおた:そうです。みんながちゃんと何らかの職業に就けて、なんとか食っていけるという風な国を目指すとなると、この数字は絶対下がるようになっているんですよね。

この労働生産性は人数で割っていますが、そうではなくて総労働時間で割った、時間あたりの労働生産性、これがよく話題にされているんですね。日本人の働き方は無駄が多いという根拠にされて、実際に21位と低い方にあったりする。

常見:製造業とサービス業で全然考え方が違うはずなのですけどね。

おおた:これを見た時に、OECD加盟国だけですよ、でも他にも色々な国があるじゃないですか。ではここで出てこない国、たくさんあると思うんですけれど、OECD加盟国以外を入れたら、どんなところが上に来るのかというのを想像つきます?産油国なんですよ。

常見:すごい、これわかりやすい産油国最強論。

おおた:カタールやクウェート、サウジアラビア、そしてシンガポールもアジアの金融センターですよ。国としてどれだけ利益率の高い産業をもっているわけっていう、それが勝負になるよね、結局っていう。

常見:利益率の高い産業があるかどうかの問題も大きいのですね。経済産業省や経団連は利益率の高い産業をどうやって創ろう、伸ばそうと思っているのでしょうか。

おおた:労働生産性という数字は、社会の構造の効率を表しているものです。決して個別の労働者がサボっているかどうかの指数ではないのです。でも、これが「働き方改革」の文脈の中では悪用されていて、これはちょっとないだろうと。

🔴これから望まれる日本社会、労働のあり方とは?
−正しい「働き方改革」を起こすために−

おおた:制度を変えていこうという話になるわけですが、僕の問題意識としては、制度というのもまさに大事なんだけれども、今まで会社がセーフティーネットとして、日本の場合は終身雇用であり年功序列でありということで、会社が守ってくれるという意識だったのが、会社がそういう意味合いの組織ではなくなってきたと。

そういう時に、今度は何がセーフティーネットになってくれるのかという話の中で、それを国が役割を担ってくれるのではないかという問題意識があって。

なのに、国が「まだまだ働け!働け!」と煽るという風な話になっているし。我々個人としても、国がなんとかしてくれなきゃみたいな。

この長時間労働、育児ができないのは社会が悪いんだみたいな、もちろん仕組み的な問題はあるんですが。基本的にはこれからの新しい社会においては、個々人が工夫して自分の働き方をデザインしていくような、そういう意識をやっぱり持たないと。

国がなんとかしてくれるとか、会社がなんとかしてくれるという社会ではなくなったんだよということを、一人ひとり個人が受け入れていけなければいけないんだろうなって。そのうえでそうすると、皆がそういう意識になった時に、初めて本当に世の中って変わっていくんではないかなって言う風なキレイ事を思っているわけです。

常見:日本的・昭和的フレキシキュリティの中で、社会保障をサボって良かったんですね。

おおた:そうそう、普通の国だったら国がやるべきことを、全部企業がやってきたわけなんですよね。それを手放したんですよね、今。そういう社会になっている。

常見:雇用形態も多様化していますし。ただ、「一億総活躍プラン」に関しては、意識の高い人が「一億人に一億通りの働き方を」と言うのだけれども、個人で働き方をデザインするというのは、限界がありませんか?それって企業に丸投げとか、国民に丸投げしているのと同じことだと思うんですよ、ある意味。

おおた:これから働き方改革というのであれば、僕が国に求める役割というのは、今まで企業がやっていたセーフティーネットの役割を果たすこと。今までは企業が守ってくれていた安心感があったからこそ、色々なチャレンジングなことができたような、失敗しても生きていける社会だった。でもそうじゃなくなってきてしまっている時に、最低限のセーフティーネットというのを国が用意してくれて、「あなたたち自由に働きなさい」「働きやすいように働きなさい」「色々なイノベーティブなことをして、チャレンジしてください」と言ってくれる。そしてもし上手くいかなかったら、その時は、「国がなんとかしますから」という風な社会を目指すべきなんではないかなというのが、僕の大きな野心であって。

常見:でも、やはり優先順位づけ問題があって。政策なるものは、財源と関係しています。そこで矛盾というか、選択が迫られていて。「少子化には歯止めを掛けないといけない」という議論と、「いやいや少子化だからもっと教育など子供関連の予算を下げてもいい」という議論がせめぎ合っているじゃないですか。それをどう決着するのかという議論がありますよね。

おおた:一人ひとりでやっていけという意味ではなくて、一人ひとりがどういう風に働いていけばいいのっていう、それを実現するための方向性という、大きな方向性のなかで、この「働き方改革」をやらないと。皆がこのように働きましょうって言って、全部の夫婦が両方がフルタイムで働くような社会を目指しましょうというような、画一的な価値観へのアンチテーゼとしてこれを言いたくて。

常見:わかります。だから、「働き方改革」の多様性と言ったところで、型にはめようとしていることで、もちろんそれは選びやすくなるというのはあるんだけれども。だから「働き方改革」が、日本における空前の愚策にならないように、今日来ている皆さんはちゃんと声を上げるべきだと思いますし、今日はこれだけ男だらけの集会になったので、良いことだと思いますし。今日来ていただいた女性の方も、女性の活躍たるものの嘘になんとなく気づいているのではないかな、という風に思います。ということで、長時間ありがとうございました。