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8月23日付の「朝日新聞」朝刊で、「チケットの高額転売反対」の意見広告を見かけた。賛同するアーチストや企業が列挙されている。サイトはこちらだ。

ファンとして、音楽やアーチストの未来は守りたい。

しかし、この声明は、やや筋が悪かったのではないか。ファンから共感されないのだ。

「高額転売反対」と言いつつ、被害の規模や、解決策が提示されていない(サイトでは、現在の取り組みが紹介されてはいるが、十分ではないことがよく分かる)。高額転売を利用することによるファンの被害(経済的不安や、音楽に注ぐお金が減ってしまうなど)が書かれているのだが、これもまた共感できない。何も分からない庶民からすると「だったら利用するなよ」と言いたくなる。

よく分からないことを、よく分からないように説明しようとしているのだ。しかも、これに有名なアーチストたちが署名してしまっている。音楽を生業にしているなら、より心に響くメッセージを発信してはどうか。全然ロックじゃない。演歌ですらない。

この問題については、そもそも論が必要なのである。「なぜ、高額転売が起こってしまうのか?」という問題である。これは言うまでもなく、「いくら払っても観たい(チケットを獲得したい、できるだけ良い席で観たい)」という需要があるからであり、そのような消費者がいるがゆえに売る側としては、ビジネスになってしまう。

この広告は「売る側を規制しよう」「彼らから買わないで欲しい」ということを言っているのであるが、業界関係者がファンが音楽を楽しむ機会を得ること、適切な値段で楽しむことができることを実現する努力が足りないがゆえに、チケットがレア化し、高額転売がビジネスとして成立するようになってしまっていないか。

チケットがレア化するのは、ライブに対するニーズが高まる一方で、ライブハウスの供給量が低下しているという問題もある。老朽化していることもあり、大型のホールの改修工事などが行われている。ゆえにライブ会場が少なくなっていく。一部の人気施設は翌年度も予約がいっぱいだ。結果として、チケットの供給量は需要に対して少なくなる。争奪戦になる。ゆえにレア感が増し、高額転売がビジネスとして成立してしまう。ライブ配信など、ファンが楽しめる機会をいかに増やすかという視点が必要ではないか(すでに行われているが)。

やや切り口を変えよう。「高額転売にNO」と言われると庶民は「転売NOには同意するが、そもそもライブのチケットは高くなっていないか」と感じてしまうのだ。実際、チケットを正規にとっても、十分高い金額になってしまう。「ぴあ」や「イープラス」などで優先販売、抽選販売などを使うと、システム使用料、発券手数料などがかかってしまう。良い席をとるためには、チケット会社のプラチナ会員になったり、アーチストのファンクラブ会員になったりするので、その分のお金もかかる。そもそものチケット代もじわじわと上がっている。「高額転売」ビジネスが存在する前に、我々は正規のルートで十分高いチケットを買わされているのだ。気づけば、音楽のライブはチケット代を払える人だけのものになってしまう。

転売もすべてが悪ではない。例えば、ぴあが運営している「リセール」制度などは、ライブに行けなくなったファンと、行きたいファンをつなぐサービスだ。関係者には、高額転売を我々が利用しいためにも、より適切な値段で、よく適切な機会、音楽を楽しめるようにして頂きたい。

音楽にかぎらず、物事がライブにシフトしていると言われているが、揺り戻しが起こる可能性だってある。気づけば、過度にライブからお金をとる時代になっていないか。業界としてはマネタイズの模索を続けるべきだが、「高額転売NO」という前に、ファン視点に立って考えて頂きたい。

最後に「音楽の未来」というが、いまや未来という言葉は希望の類義語ではない。いかにこれを希望に近い意味にするか、業界自体もファンも模索が必要だ。

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というわけで、お金をかけたのに、筋が悪いアピールだったなと感じた42歳の朝。それこそ、椎名林檎、中田ヤスタカクラスがプロデュースして欲しかったな。

書斎にて。RADIOHEADを聴きながら。