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SEALDs批判は、タブーである。我が家においては。SEALDsについて疑問の声を発すると、家族から叱られるのだ。未完成な若者の勇気を否定するな、と。昨日も、SEALDs批判をする大人たちの論理について家族で議論した。

世界平和同様、小市民としては家庭の平和が大事なのだけど、とはいえ、やっぱり疑問を抱いたので、それを言葉にしようと思う。

2016年8月15日、SEALDsが解散した。朝日新聞など、全国紙でも紹介されていた。ヤフートピックスにも掲載されていた。

解散メッセージの映像がアップされていた。
http://sealdspost.com/tobe/

戦争の悲劇と、政治の問題に関して立ち上がった若者の姿が映しだされる。SEALDsが解散すること、これまでの歩み、市民へのメッセージが綴られている。言葉の使い方から、フォントなどの見栄えまで、考えぬいた感が伝わってくる。胸を打つメッセージだと感じる人もいることだろう。

ただ、私はこのメッセージを読んで、いまいち腑に落ちなかった。何か引っかかるもの、違和感があった。違和感と向き合い、それを取り除こうとすることは人間の務めである。彼らが国に対してそうしたように、私も疑問の声をあげることにしよう。

根本的な疑問は「そもそも、なぜ、解散するのか?」ということだ。この解散メッセージには、解散する理由が一言も書かれていない。

もちろん、彼らはまったく説明していないわけではない。解散を伝える記事などをたどると、もともと緊急行動だったという趣旨のコメントが散見される。そう、彼らは「自由と民主主義のための学生緊急行動」なのだ。しかし、それはあくまで当初の計画ではなかったか。なぜ、解散せずに、パーマネントに続ける選択をしなかったのか。何度か読み返したが、その理由は明記されていない。もちろん、解散メッセージにすべてを綴る必要もない。感情に訴えかけるものにしたかったという意図も感じられる。

ただ「もともと緊急行動だった」という解散理由自体、説得力はあるだろうか。世の中全体で見ると、期間限定でつくったものがパーマネントな活動になることもあるわけで。なぜ、アンチに「逃げた」と思わせるような言い方をわざわざするのだろう。

これまでの活動の総括も不十分だと私は感じた。もちろん、この手のものは成果や応援してくれた感謝を語るものではある。例えば「参院選の全1人区で野党4党による候補者一本化」をあげている。たしかに、画期的なことだった。しかし、これは結局、有効だったのだろうか。民進党と共産党の温度差などをくんだものだったのか。勝ったのか。「勝利」と「ダメージを軽減した」はまったく違う。

「しかし、当然ながら、私たちは選挙結果を含め、これで十分だったとは思っていません。改善すべき問題点は山のようにあります。」


ということが明記されてはいるのだが。

もちろん、彼らが若者の政治参加のあり方を変えようと模索し、動員のルールなどを変えようとしたことは注目に値するだろう。賛否を呼びつつも、メディアに取り上げられ、ネット上では支持者もアンチも含め、注目を集め続けた。

「若者は未完成なのだから、否定するな」というお叱りの声を頂いた。私も別に若者に完成品を求めるわけでは決してないし、未完成の可能性にかける方なのだが(このあたりは、実際、私の教室での仕事を見て頂かないと分からないので、誤解されてもしょうがない)。

ただ、このようなポエムのような総括は、支持者に対しても、運動に参加した者に対しても失礼だ。いや、アンチに対してすらもだ。このムーブメントに関わった者、アンチも含め注目した者の気持ちを分かっているだろうか。

「なんで、挨拶がこのレベルなんだろう」という意味では、単なる無責任な謝罪文と化したSMAPの解散メッセージと同じである。SEALDsの解散文はそれに比べると、これまでの歩み、想いなどを伝えようとはしている。しかし、受け手が知りたいことに答えていないという点では同類である。SMAPは、それでも明らかに様々な問題を抱えつつも長年続いたことも大きな違いではある。なぜ、続けるという選択をしなかったのか。それを説明しなかったのか。

もっとも、この解散メッセージは、次の展開を感じさせるものでもある。最後は次のような言葉で終わっている。

SEALDsは解散します。
しかし終わったというのなら、また始めましょう。
始めるのは私であり、あなたです。
何度でも反復しましょう。
人類の多年にわたる自由獲得の努力から学びながら。
孤独に思考し、判断し、共に行動し、
そして戦後100年を迎え、
祝いの鐘を鳴らしましょう。


何か、新しいムーブメントがまた彼らが始めるかもしれないし、誰かが始めるかもしれない。「緊急行動」から「終わりなき闘い」への変化も期待してしまう。その新しい何かというものを花開かせるために、この解散メッセージで語られなかったことも含めて、関係者はこれまでの活動を丁寧に総括し、開示するべきだろう。

個人的には
「人類の多年にわたる自由獲得の努力から学びながら。」

という言葉に共感した。

勉強が足りなかったのだと思う。

いや、関係者、支援者に限らず。

私も勉強しよう。

SEALDsの若者たちは、もっと素敵な大人との出会いがあればよかったのに、と思う。ちゃんと教育し、次のステージに連れて行ってくれる指導者的な大人と、感情論ではなく、好悪ではなく、ちゃんと批判してくれる大人たちとの、だ。支持者もアンチも、SEALDsを使い潰してしまったのではないか。政権にブレーキをかけようとする行動が、いちいち引き立て役になってしまうというドラマを、私たちはいつまで見るのだろう。

世代を超えて、日本にはもっとマトモな左派が必要だ。この国は、左派が弱すぎる。世界の左派、歴代の左派に学びつつ、左派修行が必要だ。

最後に奥田くん、大学院は勉強するところだよ。腹いっぱい勉強しているかい?1日何時間勉強している?人生をかけて向き合いたい問い、取り除きたい違和感とは出会ったかな?夜中のキャンパスに行ってみよう。マーキュリータワー(注:院生の自習室、共同研究室がある)の明かりはずっとついていて、先輩や同級生は死に物狂いで勉強しているはずだ。

大学院時代に、過度に働いてしまって現在宙ぶらりん状態の先輩からのエールだ。私みたいな中途半端な中年になるな。いくらメディアに出たって、ちやほやされたって、原稿料や講演料をもらったってそんなものは虚しいものだ。若い時代に必死に学んだ経験はかけがえのないものだ。だから、朝から早朝まで勉強するんだよ。勉強しないと、安倍晋三には勝てないぜ。

私も負けずに勉強しよう。