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たまに、TATTOOを入れたくなる。右肩に猫が寿司を食べているもの、左肩にやはり猫が蕎麦を食べているもの、さらに両腕にトライバル柄が入り右手の甲に「労働」、左手には「Workers of the World, Unite!」、首筋に『ジョジョの奇妙な冒険』風に星のマークだ(分かる奴だけが分かればいい)。

もっとも温泉と、フィットネスクラブに行きづらくなるから入れない。あと、TATTOOは入れればいいというものではなくて、身体を鍛えないといけないし、上手い人に入れてもらわないといけないのだ。ライブなどに行くと、中高年の男女が若い頃に入れた下手くそなTATTOOをここぞとばかりに見せていて、なかなか迫力満点だ。以前、X JAPANのライブを観に行ったら、なかなか圧巻だった。

幼いころから、ロック、プロレス・格闘技を愛して育ち。ロックミュージシャン、格闘家などで入れている人は多く、昔からTATTOOには個人的には寛容な方ではある。森進一や古谷一行の息子もTATTOOを入れる時代である。

ただ、いくら以前よりもTATTOOが市民権を得ているとはいえ、そしてグローバル化によりTATTOO文化がある国の人の来日が増えようとも、世の中、簡単に変わるわけではない。

TATTOO、刺青を禁止した東京サマーランドがネットで大炎上していたとのこと。当該の記事は削除されているようで、その記事に対する謝罪文まで掲載されている。要するに、TATTOOをイメージさせるかわいいイラストを掲載した上で、TATTOO禁止にしている理由を説明。ログを読むとTATTOOを入れていることが発覚すると、一緒に連れてきた子供が悲しむというようなことも書かれていた。これに対し賛否が寄せられたという件だ。

まだ、掲載されていた時にもともとの文章を読んだのだが、私は誠意を感じた。もともと、TATTOO容認派の私も納得の内容だった。元エンタメ業界関係者的視点も含めて言わせて頂くと、要するにエンターテインメントやレジャーは世界観が大事なのだ。つまり、どのような世界を創りたいかということだ。それは、単に創り手だけではなく、顧客も含めて創っていくもの(参加していく、させられていく)ものである。

今の私はディズニーランドおよびディズニーシーなどが嫌いで、しばらく行っていないのだが(それはイデオロギーまで含めた壮大な自分語りになるので、ここではディズニーランド、ディズニーシーが嫌いな人材だということを覚えておいて欲しい)、それはともかく、これらのディズニー系テーマパークは飲食物の持ち込みが禁止だったと記憶している。単に商売の目的だけでなく、ディズニー的世界を創るためだ。夢の国であるという。

やれ多様性の否定だ、グローバル化を無視しているなど大義名分を振りかざした批判があろうとも、そこは創りたい世界の関係だ。ホテルやレストランで「その服装ではちょっと・・・」と言われるのと同じだ。このレジャー施設場合、決定的なコードがTATTOOだったということなのだろう。これにNOという人は、東京サマーランドから離れていくわけで。それは市場が決める。消費者が決めるのだ。

多様性の点から批判する者は論理が崩壊している。TATTOO禁止という世界観の否定も、また多様性の否定ではないか。

もちろん、TATTOOをどうするか問題はグローバル化が進む中、またなんせ東京オリンピックが迫る中、今後も議論が進んで行くことだろう。個人的な見立てとしては、分煙ならぬ、分TATTOOが進んでいくのではないかと見ている。TATTOOの人はこっちの浴槽を使ってくれ、貸し切り露天風呂に入ってくれ、という。あるいは、東京サマーランドのようにTATTOO禁止施設と、TATTOO容認施設に分かれるという。

あと、影響力のある人がTATTOOを入れると変わるだろうな。鳥越俊太郎も「打倒安倍」とか肩に彫っていたら話題になったかもしれない。今回、東京サマーランドを批判した著名人たちが一斉に入れたら、世の中変わるかもよ。TATTOOが容認された社会というのは、例えば『朝まで生テレビ!』の出演者たちが全員、両腕にびっしり入っている状態である。空虚なプロレス的議論の迫力はさらに増すことだろう。

話が拡散したが、TATTOO容認派の私だけど、東京サマーランドの姿勢を支持するよ。