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それは、天変地異が起きたかのような衝撃だった。『朝まで生テレビ!』のことである。この番組が始まったのは、1987年だったと思う。私は中学校1年で、社会と学校に対する怒りを胸に、メタルと、読書、パソコンやファミコンのゲーム、怖いヤンキーの先輩がいるバレーボール部での活動に没頭していた。制服や校則という名の鎖を引きちぎるべく、日々燃えていた。

自分の存在が何なのか分からず震えている時に、たまたま夜更かししていた時に見た、朝ナマは衝撃だった。大の大人たちが吠える光景に私は興奮した。それは言論のプロレスだった。


その後、学生時代には中川淳一郎と一緒に観覧に行き、客席から西部邁(高校の先輩だ)にツッコミ、それを宮台真司が仲裁するなんてドラマもあったけどな。中川淳一郎の野郎と一緒に朝ナマに出て、バカヤローと叫び、二人で乱闘するのは、ささやかな夢である。

話を戻そう。当時の私の推し論者は大島渚。田原総一朗の仕切りにはたまに怒りに震えた。

その中で、ヤンキーの先輩のように剃りこみの入った、もといおでこの広い論者がいた。それが舛添要一だった。どちらかというと、ヒール的な存在に見えた。本当に学者なのかと首をかしげたりしたのだけど、とはいえ、キャラの濃い先生が世の中にはいるのだなと思った。切れ味は鋭かった。

ゲームが作られたときにはびっくりしたけどな。

あれは高校1年生、1990年の時だったろうか。舛添要一北海道知事立候補説が報道された。クラスの仲間と議論したのでよく覚えている。実際は立候補しなかったのだが。

しかし、その後、本当に政治家になり、都知事になったのにはびっくりした。

それにしても、舛添要一である。

なんというか、このドタバタ劇で呆れ返ってしまった。いや、日本の政治なんてそんなものなのだけど。辞め方も、辞めさせ方も、なんというかモヤモヤしてしまう。甘利のことなど、あまり覚えていない。甘利だけに。ゲス川谷やベッキーのことも、消費税増税のことも、ファンキー加藤のことすら記憶の向こう行き列車に乗って忘れてしまった。

はぁ、また都知事選ですか。ところで、東京を、日本のことを忘れないでな。

あの、豪遊もひいたけど、コンサル料の件とか聞きたいことはいっぱいあるからな。

私は政治はシロウトだけど、聞きたいことがいっぱいあるわけだ、庶民として。

というわけで、かなり論理が飛躍するが、舛添要一は今こそ、『朝まで生テレビ!』に出演するべきではないか。もうすぐ、30周年だぞ。自分が政治について吠えていた頃から、実際政治家になって、こんなことになった現在までを、古巣『朝まで生テレビ!』というリングで総括し、自己批判してもらいたいのだ。

一方、単なる舛添リンチにしてはいけなくて。

日本の政治のカオスっぷりをみんなで語り合って欲しいんだ。

これによって、あの番組はまた輝きを取り戻すことだろう。

というわけで、田原総一朗さん、ここは『朝まで生テレビ!』で舛添に発言の機会を与えるってことでどうだろう。

ちょうど6月24日(金)は放送予定日だ。猪木対アリ40周年記念日の前々日でもある。時はきた。それだけだ。

ところで、家入一真は今回は出るのかな。