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九十九里まで行ってきたぞ。房総に暴走な。

それはそうと、ラウド・マイノリティという概念が気になっている。読んで字のごとしである。思うに、ネットの時代においては、いやその前の時代においてもこの層は「目立ってしまう」。「モノを言う人」と言えばかっこいいし、人権を侵害するもの以外はどんな希少な意見も尊いものではあるが、別にそれが大多数の意見ではない。ただ、気づけば大多数の意見であるかのように感じてしまう。そんなわけないのに。

なんというか、最近、大衆は馬鹿にできないなあと思い。発言しない人の気持ちをいかに考えるかということが大事であり。意見を言わない奴は存在価値がない、的な意識高い系コメントも気持ちはわからなくはないが、今の世の中は、発言することを戸惑う案件も多いわけで。発言すると品性を疑われたり、教養がある人ほど発言しなかったり。だから、なんでもかんでもNewsPicksで発言しようとする奴とかは、品がないのだと思う。

Twitterのハッシュタグでつぶやく人はよっぽど一生懸命な人で。感謝しなくちゃとも思うが、彼らを前提に考えると、ハッシュタグでつぶやく人の気持ちはわかるかもしれないが、大衆の気持ちは分からない。だから、最近はメディアに出る際も、番組のハッシュタグはリアルタイムでは見ないことにした。

このラウド・マイノリティに屈すると、どんどん意見もこじれていく。そして、ネット上ではラウド・マイノリティの目的化みたいなことも起こり。

それにしても、ネット広告がPVで課金されるというのは、じわじわと効いている罪だと思っている。これがあるがゆえに、極論の目的化が起こってしまうのだ。大衆がそのような極論に流されてしまうのだなと再確認したり。

というわけで、ラウド・マイノリティが影響力を持ってしまっている現状を理解しつつ、モノを言わぬ人の気持ちにいちいち誠実であることを大事にしたいと思う。うむ。

さあ、今日はメタルのライブ。頑張る。