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悪い冗談かと思った。

友人のお通夜に行ってきた。いつもはお酒を飲みながらわいわい騒ぐ会社の同期がしんみりし。彼女の遺影は大変に美しかった。献花をする時に、遺体の顔が見え。いつもの通りに聡明な笑顔に見えた。意外な再会もいっぱいあり、彼女の人徳を感じ。残された旦那さん、3人のお子さんを見て、また切なくなる。

会食の席で同期の、訃報を私に伝えてくれた千代さんが「彼女は、尖っていた頃の常見君の理解者だったよね」と。そう、そうだったと思う。

気持ちが落ち、よく飲んだ夜だった。諸々、メッセを頂いていた方、ちょっと冷静になれず、こういう時にこそ気丈に振る舞うことが大人だと思いつつも、こういう状況だと大人の判断ができないと思い、オフラインモードになっていた。申し訳ない。

先輩、シンサクさんが、彼女と『遠野物語』の話をして、聡明さを再確認したとのことだったので、恥ずかしながら読んだことのなかったこの本を帰りの書店で買う。全部は読まないが、途中まで読む。東北出身、東大に進み美術史を専攻し、海外留学、その後は海外赴任などもした彼女のあの独特の視線と視点について、少し理解できたように思う。

人の死は常に私達に語りかける。ネット上や居酒屋で冗談のように繰り返される「死ね」「死にたい」などの表現。ただ、死は誰にでもやってくるし、いくら健康にしていても、彼女のように突然亡くなる人もいるわけで。

くも膜下出血による突然の死だったのだが、何かこう、命をもってそろそろ大人になれと言われているような、あるいは、そのままでいいんだよ、と語りかけられているかのような気分になった。

私は生きるよ。

感謝。