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厄払いに行ってきた。後厄なのだ。これで厄年終了。うん、見事にスランプ期間と重なるかな。厄年なんてものは、非科学的だと言う声もあると思うが、人間はリスクを避けたいわけで。厄払いくらいでリスクを回避できるとは思えないけれど、それほど多くない出費で、少しだけ気分がよくなるなら、これはこれでメリットがあるのだと思ったりした。



ふと、中川淳一郎の野郎の本を思い出した。奴の言うことは、いちいち身も蓋もないのだけど本質をついている。この本には、「人は怒られたくないために働いている」という記述があったと思うのだが、そのまとめ方はどうよと思ったりしつつも、私が厄払いに行った理由と似ていて、リスクを可能な限り回避したいのだよな、と(回避している気分になりたい、とも言う)。

内定童貞 (星海社新書)
中川 淳一郎
講談社
2015-02-26


就活シーズンがやってくる。厳密に言うならば、もうやってきていて、フライング気味に行われているセミナーが大盛況だったりする。

就活では、将来のビジョンを聞かれることがある。自分が就活生だったちょうど20年前、いかにももうすぐ退職しそうな50代風のおじさんから「10年後、どうなっていたいですか?」と聞かれ、「あなたの10年後って・・・」「おまえ、もうすぐ、死ぬんだろう・・・」とか色々、頭の中で考えたのだが・・・。

「10年後、どうなっていたい?」という意識の高い質問もいいのだが、「10年後、どうなっていたくないか?」ということの方が庶民にとっては、気になることであるし、有益なのではないかと思うのだ。いや、これはorの関係ではなく、andの関係で見てみると面白い。「10年後、どうなっていたい?」もいいけれど、「10年後、どうなっていたくないか」もセットで考えてみる、と。

これは別に個人のことだけでなく、社会や、所属している(就活生なら所属しそうな)組織についても考えるべきで。そうすると、選挙に行く時の態度だとか、メディアで報道されることへの怒り方だとか、普段の仕事の仕方も変わるのではないか、と。もちろん、キャリアとは偶発的なもので、想像できない未来というのも楽しいわけだけど。

社会が軋む音がする。みんなオリンピックのことなんかを考えて、「2020年を視野に入れて」なんてことを言うのだけど、2021年のことを考えるとゾッとしたりもする。ていうか、5年後なんだから考えろよ、と。考えようもないし、辛くなるのだけど。

というわけで、ポジティブな視点と同様に、ネガティブな視点というか、冷徹な視点も持っていたいよねって話。

10年後のなりたくない姿はある。とりあえず、デブ、ハゲ、貧乏は嫌だし、媚びて働く日々はごめんだ。おかげ様で、今のところ、この3大リスクは回避しているし、媚びずに働いて、生きている。というわけで、なりたい自分像もそうだけど、なりたくない自分像も意識して、今日も私は研究室に、書斎に、そしてジムにこもる。家族との時間も大事にする。経験の貯金をしよう。

そんなことを考えた41歳の昼。