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年末っぽくなってきた。毎年、感じるのだが、この25日から26日に切り替わる瞬間の年末度アップとは何なのだろうか。Facebookを見ていると、昨日が仕事納めという人も多いようだ。2015年が去っていく。戦後70年だとか、安保法制だとか、テロ、他にも五輪会場にエンブレムなどなど話題は山盛りだった今年。自分と、周りにいる人にとってはどんな年だっただろうか。

仕事のメールのやり取りをしていても、この1週間は「今年もお世話になりました」「来年もよろしくお願いします」という言葉を使う機会が多かった。本当に今年もご迷惑をお掛けしたり、お世話になったりという繰り返しだったので、こちらも感謝したい人はたくさんいる。いや、ほぼ人の数だけ感謝があって。

それなのに、この「ありがとう」とか「お世話になりました」「よろしくお願いします」といった言葉は、実に軽くなっていると思う。出先でメールを見て、iPhoneに「ま」「あ」と打ち込めば終わりだ。「ま」と打てば「誠に」が出てきて「あ」で「ありがとうございます」が出てくる。いや、気持ちでは感謝していても、あまりに軽いなあと思う瞬間はよくある。言ってみればこれは技術の進化なのだが、打ち込むたびに、これくらいでちょうどいい、あくまで日常的で機能的な感謝もあれば、「ま」「あ」で出てくるレベルの感謝では足りないことだってあるわけで、戸惑う。

「ありがとう」とは本来「有難う」、「ありがたい」とは「有り難い」と書く。存在しがたいものというニュアンスが感じられる。心からの感謝の想いという感じだし、何かこう「不」を解消しているようにも聞こえる。「ありがとう」も「ありがたい」もデバイスに「あ」と入れると出てくる時代だけれども、その存在は尊いものである。その尊さ、重さに自覚的であるかどうか。鈍感になっていないか。

2015年の振り返りはまたするが、個人的には実に不思議な年だった。大いなる踊り場というか。いや、仕事に恵まれた年だったと思う。なんせ、大学の専任教員になったし、久々に組織にも所属することになった。講演やメディア出演の機会も増えた。石川県の中堅・中小企業の採用活動応援企画「いしかわ採強道場」の受託など、責任の大きな仕事も任された。責任の大きな仕事といえば、「就活時期の見直し」という大きな変化についてメディアでコメントを求められることも多く。これも責任の重い仕事である。歴史に残るからだ。ただ、フリーランスでチャラチャラしていた時期、がむしゃらにやっていた20代、30代と比較して、まだまだ大人になれていないなあと思ったりする、あらゆる意味で。

それでも、仕事を頂いたり、その仕事を支えて頂いたりしてなんとか生きている。そういうお世話になっている人に限って、先に感謝の言葉を言われてますますその人の存在感の大きさに気づいて。例えば、いつもご迷惑をおかけしている大学のスタッフ。こちらから感謝の言葉を言いたいのに、心からの1年の感謝のメール、挨拶が先にきて。ますます頭が上がらないなと思ったり。今年は地方の方からお声がけ頂く機会も多かったのだが、私に声をかけて頂いて、仕事に使って頂いて嬉しいのに、激しい感謝のお言葉を頂いたり。事務局だけではなく、参加者からも。変わりつつある自分という、41歳にして不完全な状態である人間に対して仕事をくれた人、その仕事を応援してくれた人には感謝の言葉しかなくて。だから特に今年は「ありがとう」という言葉が軽く感じるのだ。うん、それは「ま」「あ」と入力して出てくるからという意味だけではない。

「ありがとう」の重さを自覚することこそが気持ち良い人間関係のポイントだと思っている。もちろん、いちいち厳格に重さを測ろうとするとこれまたおかしくなるのだけれども。というわけで、年末年始はポジティブに感謝の振り返りをしようか。