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時はきた。明日からついに『スター・ウォーズ』の最新作が公開される。盛り上がっている感というか、盛り上げている感はある。先日、友人の結婚式で札幌に帰省したのだが、新千歳空港にはでかでかと、同作品のコーナーが設置されていた。東京の下町に住んでいるので、スカイツリー、ソラマチが近いのだが、やはりスター・ウォーズ関連の企画が。



関連する書籍も多数、出版されている。そういえば先日、NHK出版の編集者さんから『スター・ウォーズ論』(河原一久 NHK出版新書)を頂いた。感謝。雑誌でも『スター・ウォーズ』特集が組まれまくっている。どこに行っても同作品の話だらけだ。

私は『スター・ウォーズ』が大好きな人材である。いよいよ公開が迫ってきたわけで。しっかりと前売り券を握りしめ楽しみにしている。実に久々の新シリーズだし、映画作りの体制も大きく変わったわけだし、なんせあれだけ売れた作品なのでそりゃ話題になるだろうとは思うのだが、とはいえ、ここまで騒ぐのかと思ったりもする。いや、それくらい力が入っているということなのだけど。

オタクとまではいかないが、世代的に誰でも見る作品だし、テレビでも何度も放映されたし、自分でもDVDを全部持っていたりしたので(Blu-rayに買い換えるためにいったん全部売った後、買い直していないが)、何度も同作品を見ており、それなりに詳しいし、語りたいことはいっぱいある。

奥の深い映画だと思う。よく論じられるのは、ダース・ベイダーとルーク・スカイウォーカーの親子関係だ。それがギリシア悲劇『オイディプス王』などに見られる「父殺し」の普遍性、息子が父を乗り越えるという形の典型的な関係だとされたりする。宇宙戦争を描きつつも、グローバルな政治経済を予感させるし、日本というか東洋的な世界観を感じたりもする。黒澤映画からの影響を指摘されたりもする(これは諸説あるが)。

だから、同作品のファンは熱く語りだすし、新作も楽しみにしているわけなのだけど、この熱量とか奥の深さが逆に面倒くさい雰囲気を作り出しているのではないかと思っている。いや、これは『スター・ウォーズ』に限らず、歴史があって、ヒットした作品には共通した特徴だと思うのだが。それこそ、私が関連書籍を書いた『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』だってそうだ。

ちょっと引いた視点でみると、各雑誌の『スター・ウォーズ』特集は首をかしげるものも中にはあり。理由は「誰のための特集か」が見えないからだ。同作品の入門なのか、オタク向けのものなのか。そして、ここまで知識がないと見てはいけないのかという空気まで作りだしているのではないか。なんというか、映画を盛り上げるための特集が「あぁ、面倒臭いな」という空気を逆に作り出していないだろうか。

まあ、この手の特集が組まれたり、煽ったりしているのは、実は『スター・ウォーズ』をちゃんと見たことがない人達というのが実は一定層、いるからだろう。例えば、今の大学生たちは90年代後半生まれなので、ちょうど幼少期に新シリーズ3部作が始まっているわけだが、やや彼らには早い作品であり。よっぽどの映画ファンではないと、実は『スター・ウォーズ』には熱くなかったりする。それでもダース・ベイダーなどのキャラは知っているわけで、見なくてもなんとなく知っているというのはすごい作品だなと思ったりもするのだが。コンテンツ・ビジネスではこのように、大ヒット作品でも世代的空白地帯があったりする。だから一生懸命煽るのだが、それが面倒くささを醸し出しているような。



『新世紀エヴァンゲリオン』×労働という本をこの秋に出したのだが・・・。この本で私が本当に言いたかったのは、前書き、1章、あとがきで書いたことで。何かというと、作品というのは神格化されていくのだが、所詮「ポップカルチャー」だということだ。だから、普通に楽しみましょうよ、ということだ。『スター・ウォーズ』なんてものは、それこそ「ポップカルチャー」だと思うのだ。まずは今までの物語が分からなくても、最先端の映像、宇宙船が飛び、戦士たちが剣や銃で戦う様子にドキドキしましょう、と。まずは興味があったら予習なんていいから映画館に行け、と。それくらいでいいのではないかと思う。

なんというか、一億総サブカル化の中で、ちょっと詳しくないと誰も何も言えず、楽しめない感じの中で、私は「興味があったら映画館に行って、普通に楽しもうぜ」と言いたいのだ。

というわけで、明日以降、見るのが楽しみだ。1999年のエピソード1の時は、初日の最初の回で見た気がするのだが、映画館で手拍子が起こったのだよな、最初の映像で。普通に楽しむよ。



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