昨日のエントリー
なぜ音楽評論家は、はっぴいえんどの『風街ろまん』を聴けというのか
は、松本隆さんご本人に、Twitter、Facebookでとりあげて頂いたこともあり、ものすごいPV数だった。感謝。いや、あこがれのあの人とつながった、という、そういう瞬間、ソーシャルメディアのメリットってあるんだよねと思ったりする。

今日も音楽談義。

昨日のエントリーでも紹介したが、川崎大助さんがこの本で発表した日本のロックベスト100の100位はPerfumeの”GAME”だった。



佐々木敦さんのこの本、最後の章は「中田ヤスタカの時代」である。

そう、はっぴいえんどから始まった(というと、これまた論争が起こりそうだけど)日本のロックは、いま、「中田ヤスタカの時代」を迎えているといえる。きゃりーぱみゅぱみゅ、Perfumeなどは彼のプロデュースだし、彼自身が出演するユニット、Capsuleも人気を集めている。

この「中田ヤスタカの時代」という言葉には、一定の同意をせざるを得ない。

先日、お邪魔したSUMMER SONICでも中田ヤスタカが手がける音楽は存在感があった。前夜祭的イベント、ソニックマニアでも、最も動員がよく、会場を踊らせていたのは、私が見る限りではPerfumeだった。言ってみれば、「アイドルグループ」と括ることもできるのだが、そこには歌って踊れる楽しい空間と時間があった。



先日リリースされた、最新作”WAVE RUNNER"にボーナス・トラックと、ライブDVDをつけて発売したDELUXE EDITIONもいい感じだった。ライブDVDが欲しかったので、もともとの音源を持っているのにも関わらず、購入。

このDVDが実に楽しい。何度も見てしまった。ちょうど、このDVDが収録された日のライブに私も行っていたのだが、そこには、みんなで叫んで踊れる音楽空間があった。かつ、そこで奏でられた音楽は、いつも、どこかで聴いているような面影があり。つまり、今の時代に流れている音楽は、中田ヤスタカ的な音楽であり、「中田ヤスタカの時代」という言葉に納得したのである。

この手の「流行りもの」があると、その時代はいつまで続くのかみたいな議論が起こるわけだけど、少なくとも「中田ヤスタカの時代」というものが存在し、彼が日本の音楽を機械音や女性の声とダンスをフィーチャリングしつつ、より踊れるもの、楽しめるものにしたことは間違いなく事実だと思う。

一方、音楽というのは言うまでもなく多様化している。中田ヤスタカの対極にあるような、電子音を使わず、ギター、ベース、ドラム、ボーカルで音を叩きつけるようなバンドも支持を得ている。そして、かっちりした作りこんだ音楽が流行った後は、原点回帰的な音楽が流行ることも歴史が証明している。さらに音楽はつながっていく。

ふと、オーケンのオールナイトニッポンで聴いた「YMO派」「銀蝿派」という言葉を思い出した。80年代前半、当時の中高生の間にはこんな言葉があったのだ。要するにYMOのファンと、横浜銀蝿のファンだ。テクノミュージックと、(コミカルな)ロックンロールということか。

電子音が流行ると、それと合わせてプリミティブでフィジカルな音も流行る?

まあ、いいじゃないか。その時代の創り手と、聴き手の想いで時代は動いていく。そこには愛惜の念も、因果の鎖も両方存在するのだろう。

いま、ちょうど、(簡単にいうと)サブカル×労働の本を仕上げているのだけど、私の最近の問題意識なのだが、サブカルという言葉は逆にポップカルチャーになっていて。サブカルを装ったポップカルチャーであり、所詮、ポップカルチャー。ただ、所詮、ポップカルチャーで何が悪いのかという、そんな問題意識がいつもある。評論家は評論するのが仕事なので、そこはまったく否定しないが、彼らが難しく語ることをいったん手放すことも必要なのではないかと思う。

そこに当たり前のように、空気のように存在して、勝手に楽しむもの。時代に流れているもの。音楽でいうと、聴かれて、歌われるもの。それがポップカルチャー。

さて、「中田ヤスタカの時代」の次は、何の時代なのだろう。楽しく音楽にまみれながら待つことにしよう。

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しかし、Capsuleの新譜、本当にいいよ。日本のポップミュージックの現在を知るためにも聴いた方がいいよ。

さて、今日も仕事。凡人は努力しなくてはならない。音楽聴きながら頑張ろう。