吉田豪さんの昨晩、深夜のツイートが拡散している。26日10時現在、560RTだ。

これ、Twitterのマナーで賛否分かれるところだが、私は豪さんの考えに、基本は賛成だ。

聞き出す力
吉田 豪
日本文芸社
2014-12-19


そうそう、豪さんの新作、超絶面白いぞ。ビジネスにも役立つぞ。

それはいいとして。

匿名アカウントであれ、ネットで発言するということは誰かに見られるという可能性があるわけだし、リスクをとっているということだ。民間人の、素人の発言であっても、その批判が切り取られて拡散することだってあるわけだし。自分の名前で食べている人は、その意見に対して反論するだろう、そりゃ。

ただ、2014年も終わろうとしているのだけど、結局、ネットでの議論なんてものは、こんなものなのだろう。つまり、庶民が、誰も見ていないと思い、レベル感バラバラの「批判(のようなもの)」を発信し、評論家ぶる、という。

その「批判(のようなもの)」で自分のレベルの低さ、バレバレになるんだけどな。

つくづく、インターネット、しょうもねえなあ、と思う。

2014年を振り返るならば、ネットにますます失望した1年だったと言える。ネットでいくら記事を書いたって世の中は変わらない。所詮、バカと暇人のものだ。ネットに関する神話というか幻想というか、そういうものは完全に崩壊したような。ネットで何かするよりも、人に会いにいった方が数倍楽しい。ネットの連載も一時、意識的に相当減らした。今は、もう一度頑張ろうと思い、東洋経済オンラインの新連載にかけているのだけど。

もっとも、豪さんは自ら無理ゲーに参戦しているように思う。民間人、素人の批判をいちいち取り上げて反論するのもこれまた面倒なのもまた事実である。向こうは開きなおるし、実は大した意見は持っていないし。取り上げられていい気になるし。逆に被害者ぶるしな。

実は今年の後半から意識しているのは、「ネットでは議論しない」ということ。一方的な発信しかしない。まあ、人の意見にコメントを加えることもあるけれど、これも一方的な発信。いや、批判などは真摯に受け止め、反論するのだけど、まともな会話にはなり得ない。

あと、やるなら楽しい議論をしようということ。

話せば、わかる。

リアルな場で会って、まったり話しをする、と。

ニコ生なんかもあるし、何かにつけ「◯◯さんと対談してください〜」みたいなメンション、リクエストがくるのだけど、私は、積極的に無視している。みんな、どうして、そういうプロレスを求めるのだろう。要するに、下世話な対立しか求めていないわけだ。

もちろん、ネット論壇なるものも、そこに乗っかって、生きているのだけどな。期待されることはやってしまうのだけどな。

というわけで、インターネットにいくら期待しても無駄だということを確認し、自分の方向性が見えた2014年。

来年は、就職することもあり、一部の連載とこのブログ以外はますますネットから消えていくつもりだ。

新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、最強。

イベント、最高。

ありがとう。

32

イブにウエスティンホテルで食べたキャロットケーキがあまりにイマイチで、「クリスマス・イブにキャロットケーキ出すバカいるかよ」ということで、絶大なる経済力でキハチのケーキ。

ケーキ回復、この道しかない。