就職のご報告。2015年4月より千葉商科大学国際教養学部の専任講師に就任することになった。フリーランス生活を終了する。

幼い頃から、物書きか、大学の先生になりたかった。キャリアにはアップも、ダウンもない。ずいぶんと試行錯誤と紆余曲折を繰り返した。15年間サラリーマン生活を経験した。そもそも、会社に就職するという選択をした時点で、その夢は捨てたはずだった。

おかげ様でご縁があり、33歳の時に著者デビュー、36歳で大学の非常勤講師を始めた。38歳で会社を辞め、大学院の修士課程に入学。この春、卒業した。物書きになる、大学の先生になるという夢を捨て切れなかったのだった。

大学は幼い頃から現在まで、ずっとずっと気になる存在だった。

研究者の家庭に生まれた。父は脳腫瘍を患い、闘病生活を送りつつ、半身不随になっても最後まで病床で洋書を読み、原稿を書いていた。非常勤講師を掛け持ちして、私たちを育てつつ、徹夜して書斎で論文を書く母の背中を見て育った。母はのちに大学教授になったが、会うたびに、発する言葉、姿勢から研究者・教育者のあるべき姿を間接的に教えてくれた。

おかげ様で、希望通りの大学、大学院に進学した。大学、大学院で学ぶことの厳しさと楽しさを味わった。

一方、大学に何度も失望したことがあることも事実だ。

物書きとして、キャリア教育プログラムのプロデューサーとして、非常勤講師として、様々な角度からたくさんの大学を見てきた。6年間は大学生、大学院生として大学を中から見た。大学教職員の愚痴も何度も聞いた。自分自身、愚痴ったことは一度や二度ではない。

日本の大学をどうするか。ここ数年の私の関心事だった。

ただ、大学の非常勤講師として関わること、物書きとして発信を続けることだけで変えられるものだとも思っていなかった。限界を感じていた。

ネットでバカな記事を書き、イベントで言いたい放題のことを言う日々にも虚しさを感じていた。

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この度、機会を頂き、自分が思っていたよりも早く、大学の教員となることになった。

千葉商科大学に新設される国際教養学部、ここが私の就職先だ。

新学部立ち上げに関わることができる。こんなチャンスは、なかなかない。

グローバル人材養成系の学部だと思われるだろうが、いわゆる意識高い系の学部ではなく、「世界で働く、世界と働く、世界をもてなす」本当に活躍できる人材を育成できる、地に足のついた学部を目指す。留学はマスト。入学式のすぐあとに海外研修が待っている。クオーター制も導入。少人数制で、しっかりと人を育てる学部だ。

学部長は、宮崎緑だ。NHKのニュースキャスターとして知られている。かなり前からこの大学で教鞭をとっている。

最高に面白い大学、学部にするために、努力するつもりだ。



就職するのは、2015年4月なので、それまでは、今まで通り、物書きと、大学の非常勤講師の仕事を続ける。ご依頼頂いている本は、責任を持って、少しずつ仕上げ、可能な限り来年の3月末までにリリースできるよう頑張る。講演活動も続ける。なんせ、研究活動に力を入れる。

来年4月以降は、千葉商科大学の教員として、新学部を成功させるために、教育・研究活動に没頭する。

物書き、評論家としての活動は継続する。ただ、ネットニュースの連載は、来年3月末までに少しずつ、降りるつもりだ。いくつかのサイトには既に連絡していたし、今後もそうするのだが、そういう事情だったのでご理解頂きたい。このブログ、オピニオンサイトへの寄稿は続ける。書籍も年1冊ペースに。紙媒体の連載(といっても、現在は専門誌が中心だが)は継続する。

講演、イベント活動は継続するが、以前よりはペースを落とすと思う(とはいえ、ぜひご依頼を)。

メディア出演活動は今まで通り(ラジオパーソナリティーになるという夢も、諦めていない・・・)。

より、硬派に活動する。やんちゃな日々、終了。いや、マインドはいつまでも、やんちゃな感じで(魂がヤンキーだと、最近、よく言われるなあ・・・)。

これからも、水平線を目指し、私は進むのだろう。

サラリーマンから、中年になってから教育者、研究者を目指す人がいてもいいだろう。いや、そんな人は今までもいるけれど、自分も前例の一人として、旅に出るのだ。

初心に戻り、頑張ろう。

今後とも、応援よろしく。