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NHKスペシャル『そして音楽が残った 〜プロデューサー佐久間正英“音と言葉”〜』を見た。タイトルどおり、今年1月に61歳でこの世を去ったプロデューサー佐久間正英さんを追ったドキュメンタリーだ。昨年12月に放送され大反響だった『ハロー・グッバイの日々〜音楽プロデューサー佐久間正英の挑戦』に前回、時間の都合上カットされたインタビューなどを加え、再構成したものだ。

涙なしには見れない番組だった。彼の音楽作りに対して誠心誠意な姿、そして人間の生きるという姿の凄まじさに胸を打たれた次第だ。あまりにもテンプレ化されたような、何も言っていないのと同じような感想に聞こえるかもしれない。ただ、亡くなる寸前まで、スタジオに入り、音作りに関わっていた姿には情熱を感じた。実にやさしい声で、そして癌との闘いによるものなのか、やや震える声で話す彼のオーラを映像に上手く捉えた番組だった。

番組を見て、私は「プロデューサーとは何か」ということについて考えた。プロデューサー、もっと言うと、書籍で言うならば編集者もそうだが、その役割とは創り手を「想像以上の場所に連れて行く」ことではないかと。いや、これは、ひょっとしたらスポーツチームの監督、さらには会社の営業部の部長、課長などにも当てはまるかもしれない。

私がロックに目覚めた10代前半の頃、『BURRN!』『ロッキンf』『ヤング・ギター』などのロック雑誌でミュージシャンのインタビューを読むたび、「今回のプロデューサーは◯◯だった」「◯◯な音作りを要求する人だった」「自由にやらせてくれるタイプだった」などの発言をよく読んだものだが、当時はその意味がよく分からなかった。

ただ、最近、やっとその意味が分かったように思う。プロデューサーのスキル、タイプ、方針により音というものは変わる。また、ミュージシャンも変化する。最低限の品質を担保する、予算やスケジュールどおりに進むようマネジメントするのもそうだが、ミュージシャンの才能を引き出すのもプロデューサーだ。

LUNA SEAやX JAPAN、JUNO REACTOR、ソロなどで国内外で活動するアーチスト、SUGIZOは2000年代半ばのインタビューでこう語っていた。当時はLUNA SEAは「終幕」を迎えていたし、X JAPANにも加入する前だった。そのため、ややLUNA SEA時代に対して否定的なコメントをしており、ファンの間でも賛否両論をよんだ。このブログでも何度か取り上げたような気もするが、紹介しよう。

 いやー、やっぱり最初の5、6年はちゃんと音楽がわかるプロデューサーと一緒に仕事をするべきだったと思う。LUNA SEAは、プロデュースに音をコーディネートしてもらったことは一度もない。ただ、自分たちの知識と、行き当たりばったりの勉強でやってきたから。今だったらいい作品を作れる自信はあるよ。でも、93年、94年頃までの自分の作品を今、聴けないもん。
 (中略)うん、あのクオリティーで何十万枚も売っていたのは、罪だなと思うし、楽曲の良さとかバンドのスタンスとかは、頑張っていると思う。でも、やっぱり今思うとサウンド・プロデューサーをつけるべきだったなと思ってますよ。
『さよなら「ビジュアル系」〜紅に染まったSLAVEたちに捧ぐ〜』(市川哲史 竹書房文庫)より


日本を代表するミュージシャンであり、高いレベルのスキルを持ちつつも神経質だと言えるほどに高いアウトプットにこだわり(バックステージを捉えたドキュメンタリーなどでは、細部にまで注意を出す姿、他のメンバーは普段着で参加するリハにステージ衣装で参加し動作を確かめる姿などが捉えられている)、初期の段階から商業的成功を収めていたSUGIZOですら、このような発言をしている。天才とも言えるミュージシャンにもプロデューサーは必要なのである。

佐久間正英さんのドキュメンタリーに話を戻そう。

プロデューサーの役割という意味で、個人的に特に印象に残ったシーンは、BOφWYのベルリンレコーディングを提案するシーン、そして、JUDY AND MARYのTAKUYAの才能を見出したエピソードだ。

BOφWYの3rdアルバム『BOφWY』は彼らの再デビューアルバムと言っていいアルバムだ。「ロックをやりたい」布袋寅泰をはじめとするメンバーの想いを受け止め、ベルリンレコーディングを提案。まだドイツが東と西に分かれていた頃のことである。当時のベルリンは世界中から刺激を求めアーチストが集まっていたという。

振り返ってみると、このアルバムは、彼らの代表曲と言っていい曲が多数収録されている。なんせ、「Dreamin'」「ホンキー・トンキー・クレイジー」「BAD FEELING」「ハイウェイに乗る前に」 「CLOUDY HEART」 がこの1枚に入っているのだ。

間違いなく、このアルバムで彼らは今までとは違う世界に飛び込んだと言えるだろう。

JUDY AND MARYについては、レコーディング、ミーティングなどのエピソードが明かされる。後期ジュディマリにおいて、TAKUYAの才能にかけてみようと提案したのは佐久間正英さんだったという。この音楽の主導権が恩田快人からTAKUYAに移ったというのは、ファンとして感じていたし、解散の原因だとも思うのだが、この佐久間正英さんがこの変化のキッカケになっていたというわけだ。

当初、TAKUYAと会ったときの印象をギタリストとして「上手いか下手かで言ったら、決してうまくない」と佐久間正英さんは語っている。しかし、センス、才能を見出したのもまた彼だった。そして、佐久間正英さんと最後のレコーディングをした際にボーカルとギターを務めたのもまた彼だった。「TAKUYAとレコーディングしたい」佐久間正英さんは生前、はっきりとそう言った。

この最後のレコーディングのシーンにおいては、具体的なような、曖昧なような指示がTAKUYAに対して伝えられる。もちろん、亡くなる少し前で、気力も体力も落ちていたというのもあるだろう。だが、この具体的なような、曖昧なような指示というのが、演奏者の可能性をまた広げるのだと思ったりもする。これもまた、プロデューサーのタイプの違いということなのだろう。TAKUYAとの長年の信頼関係からとも言える。

このように、一つ上も二つもステージに創り手を連れて行く、才能を発見する、気づかせる、こういう「想像以上の場所に連れて行く」というのがプロデューサーの仕事の一つだと言えるだろう。

これは、書籍編集者だって一緒だ。その人の方針にもよるだろうが、一緒に仕事をした、介在した価値がなければ意味がない。

ちょうど昨日は、修士論文をもとにした本の出版の打ち合わせがあった。エース級の編集者について頂くことになった。同じ日の深夜にこのドキュメンタリーを見て、その日に投げかけられた言葉を振り返って、佐久間正英さんの仕事に似ているなと思い、ワクワクした次第だ。私を「想像以上の場所に連れて行って」くれるだろう。ただ、行くのは私なわけで。私も想像以上に努力をしなければならないだろう。

というわけで、期待以上の超絶良番組だった。そして、佐久間正英さん、素晴らしい音楽の数々をありがとうございました。