人類は麺類である。何者と問われれば、丼ものである。要するに人類は麺類や丼ものなしでは生きて行ないし、多様性があるものではある。
本日、ランチに書斎で「Cup Noodle KING ベジ豚 豚コク醤油 野菜マシ」を食した。結論から言うならば、「二郎インスパイア系ヌードル」とちゃんと書けよと言いたくなる味だった。ニンニクの効いた、とんこつ醤油味だった。野菜がいっぱい載っているのもラーメン二郎みたいじゃないか。
なんと言っても、量がすごい。身体に悪そうだ。700キロカロリー弱もあるのだ。なんとか食べきったが。
味も、量も、私のヤンキー魂に火をつけた。「どうだ、食ってみろ」と言わんばかりだった。
さて、この「ヤンキー」という言葉、最近、きている。
『ヤンキー経済』(原田曜平 幻冬舎)
や
『ヤンキー化する日本』(斎藤環 KADOKAWA)などが話題になっており、売れているらしい。
まずは、これらの本をちゃんと読み、勉強しようと思うのだが、「ブラック企業」「ポエム化」のような言葉と同様で、これも解釈が分かれる言葉だと思う。
「ヤンキー」と聞いた時に、想起するものは個々人で違うだろう。ちゃんとこれらの本を読むが、今の時代で言う「ヤンキー」とはどういう人のことを言うのかを直視しないといけないだろう。
そして、ヤンキーという言葉の意味、ヤンキー文化、ヤンキー消費の変遷というのは、ぜひ勉強してみたいと思った次第である。
周りにヤンキーの多いエリアで育ち、『ヤングオート』を欠かさず立ち読みしたが、暴走族に入る勇気がなかった私。仕事のメールに「夜露死苦」と書き、会社で浮いてしまった私。その後、矢沢永吉のライブに毎年通うようになったりもしたのだが。永ちゃんのライブはむしろ最近、ヤンキー度減ってきたが。
ヤンキーは今一度、自分の中で、整理しなければならないテーマだろう。
ちゃんと本を読んで考えるが、いかにも昔のヤンキー風ではなく、ヤンキー的魂が、じわじわと広がってきているのだよね、たぶん。広義では、このCup Noodleもそうなのかもしれない。
ヤンキーは社会学でも研究対象にされてきたし、研究する本は何冊も出ているが、深堀り、俯瞰する視点がいまこそ必要だろう。私も考えよう。
10年くらい前に永ちゃんのライブに行くためにリーゼントにした時に写真を晒しておこう。
夜露死苦。