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素朴な疑問。結構、大事なことかもしれない。ウェブサイトとかで言う、「人気記事」って表記、おかしくないか?Facebookで尊敬する方とやりとりしていて、ふと気づいてしまったのだった。たいていの場合、PV数が多いことをさしていて、本当に支持されたかどうかは分からない。「人気」ってなんだろう?

例えば、イケダハヤト師の「人気記事はこちら」というツイート。「とりあげると調子にのるからやめろ」「ふれちゃだめだ、ふれちゃだめだ、ふれちゃだめだ」というお叱りの声もあるのだけど、例としてあげておこう。

彼のエントリーっていつも煽り気味で、タイトルで釣っていたり、根拠のない極論を言っていたり、中身がなかったりして思わずスターリンというバンドの「天ぷら」という曲を歌いたくなったりするし、批判を受けたら空気を読まずスルーという芸風だ。

ただ、それなりのPVをとってしまっているのは事実。それこそ、私のブログはせいぜい1日2000PVくらいなわけで。むこうがゾウだとすると、私は踏まれるアリのようなものだ。体型はこっちがゾウだけどな。なんせ、おっさんだし。

でも、どれだけの人が彼の記事に満足し、支持しているのかはとても気になる。

PVを稼いでいるものは「人気記事」ということになってしまう。実際は、「不人気記事」なのかもしれないのに。多くの人が釣られていたり、「ああ、またか」と残念な気分になっていても、PVが高ければ「人気」ということになってしまう。

「いいね」の数というのも曲者だ。実際は「ちょい、いいね」とか「読んでやったぞ」くらいでも思わず押してしまうという。

「いっぱいRTされた」なんていうことも微妙だ。「人気」があるのかどうかは分からない。晒すためのRTもあるわけだし。ネットの流儀というのは確立されてそうで、常に模索中。数年前はRT=支持みたいに捉えられていたことがあったような。「あいつは◯◯の、あの記事をRTしていたからブロックする」なんてことを言われたこともあったっけ。

ただ、これは私も人のことを言えない。自分でも、「ああ、グダグダな文章だなあ」と思っているものが(・・・そこは個人ブログだからねと言い訳したくなるが)、タイトルが尖っていて、そこそこ新しい視点や知識があるものは「人気」になってしまったりする。自分の書いたエントリーのPVが上がったり、拡散したりするとそれなりに嬉しいわけで。ここで勘違いが起こるわけだ。

中身をわかってくれる人はわかってくれるし、本質的な批判をしてくれる人はむしろありがたい。ああ、ちゃんと読んでくれているのね、と。

とはいえ、この「人気」なるものと「質」問題というのは根深いものである。質の高いものが売れるわけではないのは、そもそもコンテンツの、いやもっと言うと広く商品・サービスの課題であるわけで。そして、売れる努力、記事で言うと読んでもらう努力は大事なわけで。

タイトルだけとか、しょうもない極論というのがPVを「稼いでしまっている」という事実は、感情を手放して、受け入れなければならない。それこそ、タイトルも中身も超絶ポエム化した記事がPVを稼いでいたり、ね。

というわけで、ウェブにおける納得感のある指標って、何なのかね。いきなり投げっぱなしジャーマンみたいであれだが、このへんはずっと模索中なのだろうな。

とはいえ「人気記事」っていう表記は庶民にとってわかりやすいものの、本当に人気かどうかわからないから、PV数とか具体的な指標に変えるべきじゃないか。その点、BLOGOSのランキングは「閲覧数」「支持数」という指標を提示していて、えらい。

日々、サイトもブロガーもPV数だとか、拡散したかどうかとか、ヤフトピをとったかどうかとか争うものなのだけど、そろそろ「質」に関する指標も欲しいなと思う今日このごろ。それこそ、質に注目した「賞」だとか。一応、ブロガーアワードみたいなものはあったりするわけだけど。ただ、これも実は時代を動かしたエントリーとかブロガーがあまりいないことが可視化されたりして。

・・・グダグダなエントリーになってしまった。この記事が人気記事になってしまったら、それもまたウェブの残念な現実なのだろうな。

バルス。