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私は気づいてしまった。佐村河内守氏のゴーストライター問題にしろ、『明日、ママがいない』問題にしろ、リクルートのCMが何かズレている問題にしろ。そこには、「お涙頂戴」の下心があるということを。そして、その一部が中途半端だったり、カスタマーとズレているのだということを。

最近、それを感じたのは、この東京ガスのCMだ。同社はここ数年、泣けるCMを流すことで知られている。YouTubeなどでも「感動CM」で検索すると同社のCMがかなり出てくる。

Facebookで「家族の絆・母からのエール」篇が共有されていたので、チェックしてみた。就活に苦労する娘の姿が描かれる。移動中の電車で正面に座った人ですら面接官に見える、何度も否定される、友人からは内定報告があるのに・・・。やっと内定が出るかと思ったら、落ちてしまった・・・。それをあたたかく迎える母親・・・。

いかにもなお涙頂戴の話である。

よく出来たCMだし、ガスの登場のさせ方も絶妙だ。また、就活における母親の役割を描いている点もいい。

親は知らない就活の鉄則
常見陽平
朝日新聞出版
2013-09-04


最近、Kindle化された『親は知らない就活の鉄則 』(朝日新聞出版)という本を作っている時の取材で気づいたのだが、就活のときに親にしてほしいバックアップは「カネ・コネ・ココロ」の3つである。特にココロという点においては、いつも帰宅するとあたたかく迎えてくれて、愚痴を聞いてくれて、美味しい料理をつくってくれる。こういうサポートが学生から支持されていた。

それを描いているのは偉い。

ただ、実際の就活生の悩みというのは、こういうことなのだろうか。もっと言うと、このCMを初めて見かけたのは、昨年の終わりのような、今年の初めのような時期だと記憶しているのだが、この時期はまだ就活は始まったばかりで、学生は「落ちる」という経験をほぼしていない。

むしろ、彼ら彼女たちの悩みというのは「自分の軸が決まらない」ということだったり、就活の負荷そのものだったりする。就活生がこのCMに共感するのは3月くらいからじゃないだろうかと思う。

就活生の悩みはそもそも層によって違うし。

いわゆる、これはテンプレート化された就活の悩みだ。おそらくこのCMも親世代に向けて発信しているのだろう。だいたい、就活生は毎年40万人くらいしかいないし。

というわけで、こういうベタな、実際のカスタマーの気持ちとはちょっとずれたCMが作られていく。


先日、紹介したリクルートのCMに関しても、ちょっとカスタマーとズレているのではないかと思ったのだ。

このCMに対する批判を見ていると大きく2つある。

1つは「感動するのに、最後のリクルートポイントの紹介で萎えた」というものだ。うん、いかにもたくさんの事業会社と商品・サービスに気を使いましたという感じのロゴの羅列、コーポレートメッセージに萎えた、という。

ただ、これは企業広告なので、しょうがない部分もあるだろう(もう少しさり気なくして欲しかったけど)。

もう1つは、そもそも「すべての人生が素晴らしい」「人生はマラソンではない」「まだ、ここにない出会い」というメッセージ自体が、平成日本の現実、カスタマーの気持ちとズレているのではないかということだ。これに共感するのは一定数いるだろう。ただ、実はみんな、そんな多様性に飽きたり、疲れているのではないかと思ったり。そして、リクルートの手のひらで踊らされている感に気持ち悪くなったり。


昨年、少しだけ流行ったこのtotoのCMに関してもそう感じた。なんというか、うそ臭いというか。こんな立場の人、いるのだろうか、とか。

ここ数ヶ月、また学生たちのインタビューを相当行って、スポーツをやっている人の話を聞きまくったけど、このCMに出てくる立場のような人は実はあまりいなくて、補欠は補欠なりに練習を楽しんでいたり、チームをもり立てることに喜びを見出していたりするわけで。

まあ、これは、補欠的ポジションにいる人に語りかけているのかな。

リアルそうで、感動しそうで、いかにも作られた感にひいてしまった。

なお、このCMについては、関西学院大学准教授の鈴木謙介先生の解説があまりに秀逸なので、ぜひ、参照していただきたい。

現実にウソを混ぜる
http://blog.szk.cc/2013/05/23/fake-in-the-real/



というわけで、最近、ソーシャルメディアなどでシェアされることも狙ってか、いかにも「お涙ちょうだい」CMが作られるわけなのだけど、実はカスタマーの気持ちを掴んでいないのではないか、でも、そういうベタな力技で泣いてしまう層も一定数いるのではないか、その間で揺れているのではないかと思った次第だ。

さて、私たちはいつまでベタな感動に踊らされるのか。自分たちの気持ちを代弁するCMなんて現れるのか。激しく傍観しよう。