やっぱ好きやねん (MEG-CD)
やしき たかじん
ビクターエンタテインメント株式会社
2010-02-24


やしきたかじんさんが亡くなった。

驚いた。どう反応していいのかわからない。ブログは不定期更新にしていたのだけど、今日はこの件も含め、動揺することが多かったから、書くことで気持ちを休めることにしよう。すまない、自分の勝手で。

お別れはいつも、こういう風に、突然やってきて、すぐにすんでしまう。

昨年、天野祐吉さんについて、大瀧詠一さんについて書いたときもそうだったけど、故人にむける言葉というのは、その人が、思ったことを思ったように話すのが礼儀だと思っている。

実は、私は、テレビに出ているやしきたかじんさんをほとんど知らない。しかも、逝去が報道されたこのタイミングで申し訳ないのだが、20代前半の頃(だったと思う)に、『たかじんnoばぁ〜』を観て、率直に、何が面白いのかわからなかったことを覚えている。

その10年くらいあと、はなわが、「大阪府」という曲を発表した。その歌詞を強烈に覚えている。

大阪の常識といえば エリートは一流大学より吉本
レコード大賞より上方お笑い大賞
ベッカムよりもやしきたかじん


そうか、大阪ではそんなに愛されているのか。驚いた次第である。

そんな私が、なぜ、やしきたかじんさんについて、お別れの言葉を綴るのか?悲しい気分になっているのか?

されは、「やっぱ好きやねん」という歌に救われたからだ。

サラリーマンになりたての頃、私はトップ営業マンならぬ、「トップレス営業マン」だった。つまり、営業の成績は下から数えた方が早く、宴会で芸を披露する(脱ぎ芸的なものを含む)ことしか組織に貢献できない人間だった。

その頃、尊敬する上司がカラオケで歌う曲の一つが「やっぱ好きやねん」だった。

この曲の空気感、歌詞と、関西出身の鬼軍曹のような上司がこの曲を気持ちよさそうに歌う時に見せる、優しい表情に、私は何度も救われたのだった。

たかじんさんといえば、テレビなので、こういう感情を抱くこと自体、どうかと思うことだろう。ただ、あの時の私は、確実に癒され、救われていたのだった。

たかじんさんの原曲じゃなく、上司の歌う「やっぱ好きやねん」なのだけど。

でも、ポップミュージックというのは、このように、「歌われること」が大事なわけで。それは「愛される」ことに近いと思われ。そして、なんとなく流れていて、愛されることが大事なわけで。

というわけで、テレビを観ない私にとっても、たかじんさんは、人生を応援してくれていたのだった。

こういう、さりげなくそこにいてくれる存在。それがポップスターなのだと思う。

私はそういうわけで、たかじんさんの話芸をあまり知らないにわかなファンだ。

ただ、お別れは突然やってきてすぐにすんでしまうわけで。

人は、死ぬんだ。しかも、年齢など関係なく。

昨年も「リクルートの創業者江副さんに取材したいなあ」とか「国際教養大学の中嶋学長に取材したいなあ」と思っていたら、そう考えた直後に、旅立っていった。亡くなった人は、二度と帰ってこない。思えば、自分の父親とももっと会話しておくべきだったと思う。

歌以外のたかじんさんを知らなかったことを猛烈に後悔している。

でも、これも変えようがないことなわけで。

というわけで、人が旅立つたびに、今日という日を精一杯生きなければと思うのである。かりゆし58の「さよなら」じゃないが

「ぼくが生きてる今日は もっと生きたかった誰かの明日かも知れないから」


やしきたかじんさん、ありがとう

やっぱ好きやねん

合掌