TwitterのTLで流れてきた映像。

「『桐島、部活やめるってよ』の監督がつくった感動CM」
という触れ込みだった。

バスケ部の補欠を描いたものだ。

期待してみたのだけど、残念ながら泣かなかった。

私が疲れていたからだろうか?
映像が行儀よくて、キレイだったからだろうか?

ただ、私も思えば、ずっと「補欠」だったなと思った。

幼馴染との鬼ごっこ。近所の子どもたちはみんな私より年上。「補欠」でまぜてもらっているようなものだった。私はおばあちゃんっ子だったのだが、祖母が近所の子どもたちに対していつも口にしていたのは「仲間に入れてあげてね」「勝たせてあげてね」だった。私が幼少期に覚えた日本語の一つだ。

なんとなく入った少年野球。縦社会はもちろん、同期との横社会にすら馴染めなかった。「補欠」だった。なんせ野球が下手だったし、すごく好きでもなかった。試合のたびに、母親がチームに差し入れを持ってきて、そのお情けで「代打」で出場していた。いつも三振だった。

友人にくっついて入った中学のバレーボール部。やはり、縦社会にも横社会にも馴染めなかった。身体のかたい私はそもそもバレーに向いてなかった。「補欠」だった。スコアブックすらまともにつけられなかった。

中学校では生徒会長になった。トップ当選だった。「補欠」ではなかった。でも、ヤンキーの先輩、友人の方がよっぽど人気者でリーダーシップがあった。存在としては、「補欠」みたいなもんだった。

高校でバンド結成。ただ、他の軽音の仲間よりも、なんせバンドのメンバーの中でも「補欠」みたいなものだった。のちに、同期はフジロックに出た。

大学でのプロレス研究会。先輩も後輩も、私よりも身体ががっちりしていて、なんせプロレスも上手だった。サークルでは「会長」だったけど、リング上の試合では「補欠」みたいなものだった。

大学でのゼミナール。同期たちは圧倒的に、明らかに優秀だった。英文の課題も読みこなせず、数字も分析できない私は「補欠」みたいなものだった。みんな大企業や外資系企業に進んだ。コテコテの営業会社に行ったのは私くらいだった。

新卒で入った会社。110人くらいいる同期は、圧倒的に優秀だった。新人研修の段階から浮いていた。自分が「補欠」だったのは明らかだった。入社式で隣にいた女性は明らかに元気で頭の回転がはやく、私は萎縮していた。のちに、彼女は起業し、その会社を上場させた。

中途で転職した会社で新卒採用担当。自分が「補欠」のような存在で「外様」だったのは明らかだった。

役員になるつもりで転職したベンチャー企業。私はずっと幹部という名の「補欠」だった。

33歳で著者デビュー。売り場に並んだ私の本は、とても輝いて見えた。幼少期からの夢がかなった。でも、書店の中ではとっても存在感が低く、「補欠」で並べてもらったようなものだった。

38歳で大学院に進学。若さをすべてかけている20代前半の「同級生」たちに比べて、私の存在など「補欠」のようなものだ。

メディアに呼ばれるときも、自分は所詮、「補欠」である。今日は論壇番組の収録がある。私なんかに役がまわってくるのは嬉しいが、その番組に出る顔ぶれからみると「補欠」同然である。

「人生の主人公はあなただ」

政治家も起業家も、学校の先生も、小説も、「愛」や「友情」という言葉を消費するJ-POPの歌詞さえもそんなことを言う。なんとなく気持ちはわかるけど、会社と社会の中では自分が「補欠」であることなんて、とっくにわかっている。

そんな「補欠」のような存在でも、出番がまわってくることはある。「お前なら、できる」そう言われて打席に立つ。その度に、空振りをする。「補欠」にとって「出場」もまた悲劇である。所詮、自分は「補欠」なんだと再認識する。

それでも、「補欠」という役割を受け入れて、私は生きたい。

「補欠」がいなければ、「主役」は安心してバットを触れないし、歌って踊れないのだ。

そして、「主役」よりも輝くことができる日がくるまで、「素振り」を繰り返すのだろう。

ホームランとは言わなくても、ヒットくらいは飛ばしたい。

さあ、今日もまた一生懸命に、誇り高く生きよう。