ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)
ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書) [単行本]

『週刊東洋経済』の「ユニクロ疲弊する職場」が熱い。同誌の風間直樹記者、西村豪太記者による渾身のレポートである。

そして、この記事をキッカケに最近、アゴラでも話題の「ブラック企業」論の流れが変わるのではないかと私は考えている。

9ページにわたるこの特別レポートだが、これまでのユニクロ批判記事とはレベルが違う。これまでは、元社員に対しての取材で構成されたものが多かったが、同記事では疲弊して退職していった元社員はもちろん、最近まで人事担当役員を務めていたユニクロ日本COOの若林隆広グループ執行役員のコメントまで取り、実に丁寧に取材している。表紙にまで店舗の写真を載せて、問題提起している。記事の一部は、さっそくヤフトピでも紹介されており、話題となっているようだ。同誌と、担当記者の本気が感じられる。さすが同誌の雇用・労働系のエース記者、風間直樹氏。あっぱれ!

大きな論点は、「サービス残業」である。記事によると、同社は店長の月間労働時間の上限を240時間に定めており、破った場合は降格、店長資格剥奪など人事による懲戒処分が行われる。ユニクロが文藝春秋との訴訟で裁判所に提出した2010年11月の全店長の月間労働時間一覧によると、新人店長の労働時間は、ほぼ240時間の上限ギリギリである。同社の元社員の証言によると、実際はその時間では終わるのは困難で、これがサービス残業のきっかけになっているという。

その他、店長育成の問題点、高い離職率、うつ病の発症、社員を追い込む言い訳許さぬ風土、旧日本陸軍との類似点など、なかなか手厳しく問題をついている。

「まるでブラック企業そのものだ」
という声もあるだろう。

ここで、もう1つ、この記事の優れている点を伝えることにする。それは、「ブラック企業」という言葉を一言も使っていないことである。書かれている内容からすれば「ブラック企業」そのものなのだが、現在、バズワードとなっているこの言葉を使わないことに、同誌の意志を感じたのだった。

ここ数年『ブラック企業』が話題となり、今野晴貴氏による文春新書同名の書籍
はベストセラーになった。

私は「ブラック企業」問題に激しい怒りを感じつつも、この言葉が広がったことを総論では肯定している。というのも、「ブラック企業」という言葉ができたことによって、苦しむ社員が異議申立てをできるようになったこと、自分の労働はまともなのかと考えるきっかけになったことは評価している。

ただ、「ブラック企業」の定義が曖昧、いや正確に言うならば人によって違っているから、議論が噛み合わない状態になっていると感じる。

例えば、今野晴貴氏によるブラック企業の定義は同書のサブタイトルと近く、簡単に言うと「人を食いつぶす企業」である。別に「きつい企業」のことを言っているわけではない。おそらくこの認識の違いが、噛み合わない議論につながっているのである。

実は今野氏とは2度、一緒にセミナーをしているのだが、彼によると、例えば一般論として仕事がきついことで有名な野村證券、リクルートはブラック企業ということにはならない。ちゃんと力がつき、人脈もできて、次につながるからだ(まあ、私はリクルート出身で、一時は8時から朝3時まで働いたし、体調も崩したし、なんせ事件まで起こした会社だし、過労死の訴訟も起こっているので、十分ブラックじゃないかと思うのだが、半分は自分語りなので聞き流してほしい)。

「ブラック企業」という言葉が広がったことは、議論が広がるポイントとなったのだが、この定義が人によって違うので、「最初はきつい会社に入った方が成長できる」「きつい労働はどの会社にもある」という話になるのだろう。このような論も支持されている。

いったん、ブラック企業という言葉をお休みして、あるいは再定義して議論すると、みんなの問題意識は意外と一緒であることに気づくのではないだろうか。

新人店長が毎月240時間近く働き、実際はそれ以上働きサービス残業をしている状態は「普通」なのか。店舗正社員の3%(労務行政研究所の調べによると、世の中の平均は0.5%で、大企業に限ればさらに低くなっている)が精神疾患で休職している計算になる同社の状態は「普通」なのか。

一度、この特集を読んだ上で、再度議論したいところである。また、今一度「ブラック企業」の意味を再定義した上で議論すると、論客たちの意見も違うものになっていくのではないか。

もっとも、この問題は文字通り根深い。実際そうできるかどうかはともかく、会社にしがみつきたいと思っている人がこれほど多い時代はない。先日の池田信夫先生との対談でも話題になったが、普通の日本人というのは会社にしがみつくものである。その過程でブラック労働も生まれやすくなるだろう。そして、経済環境が悪化した現在はもちろん、70年代、80年代から働き過ぎは常に話題になってきた。

私は社会学部入学→商学部卒業→忙しい会社を3社(出向も経験しているので厳密には4社)→フリーランス&大学院生で社会学研究科という人生を歩んできているのだが・・・。最近、体験したことだが、たまたま履修していた商学研究科の講義でベストプラクティスとして紹介されていた企業が、まさに労働社会学でいうなら労働問題が起きているケースとして取り上げられる企業だったということがあった。労働者にとっては労働で、経営者にとっては生産という、労働と生産の2つの顔を再認識する次第である。

また、「いい会社」というのも、たいていは株主、顧客、社会にとっていい会社であって、従業員にとっていい会社かはいつも議論されないわけだ。

話が拡散してしまった。

この『週刊東洋経済』の記事をきっかけに、「ブラック企業」論の流れが変わることを期待しよう。ビジネスパーソンも大学教職員も学生も必読の記事である。

行こうぜ、本屋、キヨスクの向こうへ!