
アイデン&ティティ―24歳/27歳 (角川文庫)
こんな記事を見かけた。
高学歴プア 東大院卒就職率56%、京大院卒はゴミ収集バイト
1月30日の朝の段階で、Twitterで866RT、Facebookでは630いいね、だ。
つまり、大拡散している。
なるほどね。
「名だたる大学院を出ても非正規雇用、あるいは無職となってしまう者たちが続々と生まれている。」
というわけだね。
自分自身、大学院生だったりするし、大学の非常勤講師をしている。
この記事に描かれているような問題も目撃しているし、問題として認識している。
今日は、超・私的な視点で、超・現場レベルで、この問題を捉え直すことにする。
高学歴ワーキングプア問題の考察、ルポというよりも、あくまで個人の視界に広がったことを切り取ったエッセイとして読んで頂きたい。
15年間のサラリーマン生活を経て、2012年の4月から、私は大学院に入り直した。所帯持ちで、住宅ローンもまだ残っている状態で、サラリーマンを辞めてライター、非常勤講師をしつつ、この選択をするというのはそれなりに勇気のいる決断だったが、不思議と怖くなかった。それよりも、その先に広がる世界にワクワクしたのだった。
社会人院生として見た、その世界は何かに似ていた。
それは、バンドマンの世界、ロックの世界そのものだったのだ。
「未来は素晴らしいに決まってる」
私は、読者の方にサインをするときに、こんなメッセージを一緒に書くことが多い(その日の気分による)。
未来が素晴らしいかどうかはわからない、いや普通に考えると暗いんじゃないかと思うけど、私はそう思うようにしているし、そうしたいと思っている。
でも、先が見えない状態で今日を生きている。
どうせ暗い世の中だったら、好きなことをやって生きよう、自分の信じた道で生きようという気分になったりもするけど、そういう生き方をしていても未来は見えなかったりする。
それこそ、大手企業に40年間(あるいは以上)、魂を売るのかという話になったり、大手に入っても未来は約束されてないと言うけれど、所属しない生き方に必ず未来がありますなんて無責任なことは誰も言えないはずだ。
それはまさにバンドマンがそうだ(なお、ここではレーベルに所属していない、アマチュアバンドの世界をイメージしてこう言う)。
昔も今もロック小僧だけど、ライブハウスにふらりと行ったときに、ふと冷静になる瞬間がある。
「この人たち、どうやって食べているんだろう?」
「普段は何をしている人なんだろう?」
「いつまで、やっていけるんだろう?」
いや、そのとき、その空間では熱狂的な光景が展開されているのだけど、ね。
これは、私のようなライターの世界でも、まったく一緒なのだけど。
大学院に在籍していてもそう思う。この記事にあるように、別に大学院を出たからって、就職が約束されるなんてまったく思っていない。そんなことは、なんとなくわかっている。
でも、先行きが不透明の中、みんなが勉強に没頭している姿は、私がライブハウスで死ぬほど見てきた、バンドマンの姿にかぶるのだ。
若い人たちが、先が見えない中、日々研究に打ち込んでいる姿はまさに若さを燃やしているバンドマンそっくりだったり。
中には私のように会社を辞めてきた人もいるわけで。
まわりの仲間は、それこそ23歳くらいの、学部を卒業してすぐに入った人達、新入社員と同じくらいの年齢の人達もいれば、20代後半~30代くらいで会社を辞めてやってきた人もちらほらいる。
私たちの前途は、誰にもわからない。
まあ、これはなかなか言いづらいことだし、まわりの人は私にとってそう思っているかもしれないけれど・・・
「むいていないんじゃないの?」
そう思う瞬間はたまにある。
下手くそなのだけど、金髪にタトゥーなんていうバンドマンをよく見かけたもんだけど、なんか、かぶるなぁ。
あと、その人がどうやって生活しているか、なんてことは聞けない。死ぬほどアルバイトしなければやっていけない人もいれば、親などの援助で生活が成立している人も当然いるだろう。
このへんも、バンドマンと一緒だよね。
ポジションを勝ち取るために、奮闘している感じも、ね。
ただ、このように未来が見えなくて、生活も安定していない可能性がある中で新たな知の創造のために魂かけている姿は、ロックだなと思ったり。
というわけで、大学院はロックなのだと考えなおしてみる38歳の朝なのだ。